その中で注目すべきは、「国鉄改革後の輸送需要の動向等新たな事情の変化を踏まえた上での適切な路線の維持及び駅その他の鉄道施設の整備に当たっての利用者の利便の確保に関する事項」だろう。
具体的には「当該路線が単に赤字であるという理由のみで路線を廃止したりせず(略)適切に路線を維持するように努めること」、「国鉄改革時には想定されなかったような新たな事情の変化が生じた場合に(略)路線を廃止しようとするときは、地元に対してその旨を十分説明すること」、「駅その他の施設を整備するに当たっては利用者の利便に配慮すること」の3点が挙げられている。
赤字ローカル線の廃止(議論)をめぐっては、民営企業としての営利主義の結果という批判がある。指針はこのような安易な廃線を抑制しているのは明らかだが、赤字「のみ」を理由とした廃止は認めないということは、「国鉄改革時には想定されなかったような新たな事情の変化」が生じた場合は廃止が認められるとも読める。
しかしそれは公共性の放棄を許容するという意味ではないはずだ。高速道路の整備や自動車の普及、人口減少をどこまで想定していたかは議論があるが、鉄道より安価で、条件によっては鉄道以上の利便性を持つ交通モードの登場もまた国鉄改革時の想定外だったはずだ。利用者から見放された鉄道の存続より、新たな交通モードを軸とした地域交通の再編の方が公共に寄与することもあるだろう。
公共性と企業性は必ずしも相反するものではない。JRは民営企業としての創意を発揮し、地域の実情に合った交通機関を実現しなければならない。また、それを一時のものではなく、長期的に維持・運営する公共性が求められる。これをもって、初めて「地元の理解」と「利便の配慮」につながるはずだ。
コロナ禍以降、鉄道事業の再国有化を待望する声もあるが、全株式が市場に流通した時点でそれは不可能だ。しかし国内にはさまざまな民営鉄道事業者があり、企業性と公共性のバランスを取りつつ鉄道を営業しており、国営(公営)でなければ公共性が確保できないということはない。
そもそも国鉄(日本国有鉄道)は、それまで国有国営だった鉄道事業を公社化し、企業性のもとで効率的に運営するために設立されたのであり、企業性を否定するものではなかった。
国鉄分割民営化は公共性から企業性への転換ではない。全ての鉄道事業者に共通する、公共性と企業性のバランスの問題であることを見逃し、物事を単純化してしまうと、議論は有益なものにはならないだろう。