なぜ「グダグダライブ」は
敢行されてしまったか
山崎まさよしがそうしたライブを展開した理由に関しては、「水戸だから手を抜いたのではないか」「運営と不仲で、運営に迷惑をかけるためにあえてやったのではないか」など、様々な憶測が飛び交っているが、中でも最も大きく聞こえてくるのは、心配のトーンが混じった体調不良説である。
しかし、山崎まさよしをなんとなく知る一般リスナーとしては、今回騒動を起こすことになったMCだらけのゆるいステージの様子を聞いて、その音楽性と一致する部分を見出して妙に得心した部分もあった。
まず、山崎まさよしの音楽はかなり「生」の部分を狙って作られている。音楽の録音・編集ソフトが発達して、リズムのよれもピッチの乱れもやろうと思えばほぼ完璧に修正できる時代となって、作り手には新たに「じゃあどこまで修正するか」という選択肢が突きつけられた。
流行歌がどれもかなりしっかり修正されている中で、山崎まさよしは過度な修正をせず揺れを揺れとして残していくタイプのアーティストであった。そうする方が音に人間味が残るからである。この音楽性に、自然体を愛する氏の性格がうかがえる。
また、山崎まさよしが現在行っているツアーは、バンドを引き連れずひとりで複数の楽器を演奏する独演スタイルであった。弾き語り系の独演は、部屋の隅にスポットライトを当てるだけでそこをステージにできてしまうような気軽さがあり、「客席との対話」とも親和性が高い。
だから、おそらく氏は水戸のライブで、特に裏の理由はなく、本当に本人の言葉通りに、良くも悪くも自然体な、肩肘張らないゆるーいプレイを披露して、それをもってして“山崎まさよし”を楽しんでもらおうとしたのではないか。そしてその目論見が大いに外れたのではないか、という気がする。
「聞くと不快になるMC」も、たとえば「(自分のライブのチケットは高いから)買うな」などはかなり攻めていて、紙一重で大爆笑かダダ滑りといった内容である。聞けば、直近の座間ライブではMC大爆笑で素晴らしいステージだったらしいが、続く水戸では曲数の問題から不信感をもたらされた客席を前にひたすらスベりまくって、最終的に参加者から「地獄」と評されるまでの雰囲気が醸成されたように見える。