人はなぜ病気になるのか?、ヒポクラテスとがん、奇跡の薬は化学兵器から生まれた、医療ドラマでは描かれない手術のリアル、医学は弱くて儚い人体を支える…。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、X(twitter)で約10万人のフォロワーを持つ著者(@keiyou30)が、医学の歴史、人が病気になるしくみ、人体の驚異のメカニズム、薬やワクチンの発見をめぐるエピソード、人類を脅かす病との戦い、古代から凄まじい進歩を遂げた手術の歴史などを紹介する『すばらしい医学』が発刊された。池谷裕二氏(東京大学薬学部教授、脳研究者)「気づけば読みふけってしまった。“よく知っていたはずの自分の体について実は何も知らなかった”という番狂わせに快感神経が刺激されまくるから」と絶賛されたその内容の一部を紹介します。

【外科医が教える】腹部の手術中、「メス」を手にした医師はどのように体を切り開いていくのかPhoto: Adobe Stock

「メスください」

 私が医学部の学生時代、手術見学をして最初に驚いたのが、外科医が執刀時に「メス!」といわなかったことだ。

 医療ドラマのイメージで、外科医が手術を始めるときは必ず「メス!」と鋭く言い放ち、看護師からメスを素早く受け取るものだと思い込んでいたのである。

 ところが、その外科医が実際に口にしたのは、「じゃあ始めます。メスください」であった。さらに驚いたのは、メスで皮膚を切った後に、「はい、メス返します」と発声し、ゆっくりと看護師にメスを返していたことだ。

 ドラマの世界に比べると、あまりに地味なやりとりだったのである。むろん、実際には発声の仕方、言葉の選び方は外科医によって違う。

メスは非常に鋭利

 ただ、手術を行うスタッフが共通して教育されるのは「メスの受け渡しは必ず丁寧に行う」ということだ。メスは非常に鋭利で、軽く皮膚の上を走らせるだけで容易に切ることができる。

 メスの刃が外科医や看護師の手に誤って触れてしまうと、抵抗なくあっさり手が切れてしまう。万が一メスを落として誰かの足に刺さるようなことがあれば、一大事である。

 大怪我を負うだけでなく、患者の血液を介した感染症が起こるリスクもある。よってメスを受け渡すときは、必ずお互いが目視で丁寧に確認する必要がある。

 その上で、メスを渡す際は「メス渡します」、メスを返すときは「メス返します」といったような「声出し」をするのが理想的だ。

 ドラマで見るような、素早い手さばきでメスをやりとりする姿は、実は危険極まりないのである。

腹部手術のプロセス

 さて、では実際メスをもらった後、どのように体を切り開いていくのだろうか。

 ここでは一般的な腹部の手術を例にあげ、そのプロセスを解説してみよう。メスを使って切るのは原則、皮膚の表面の表皮と真皮と呼ばれる浅い層のみである。

 メスで深くまで一気に切ると、皮膚の中を走る毛細血管からそこかしこに出血し、止血に時間がかかってしまう。

 そこで、メスで表面を切った後は、電気メスを使って深く切り開いていくのが一般的だ。

 「開腹」と呼ばれるこの操作を行うと、黄色い内臓脂肪が姿を現す。

 その背後に全長6メートルほどの小腸が蛇のように横たわり、周りを1.5~2メートルほどある大腸が取り囲む。

 みぞおちのところには胃が、右上には大きな肝臓があばらの下にはまり込む。こうした臓器の配置は、ほぼ全ての人で同じである。

 だが興味深いことに、臓器の大きさや形、色合いには個人差がある。むろんこれは、手足の長さや顔立ちが人によって異なるのと同じである。

 人体は、外見のみならず内部にも個性があるのだ。

電気メスはペン型の手術器具

 電気メスは、名前に「メス」が入っているものの、鋭利な刃物ではない。

 金属製のメスとは似ても似つかない形状だ。先端が金属のヘラのような構造になっていて、通電して組織を焼灼しながら切れるペン型の手術器具である。

 手元にあるボタンを押している間だけ通電する。切りたいところに先端を接触させ、ボタンを押すだけで対象物を切開できるのだ。

 熱でタンパク質を凝固しながら切開できるため、細い毛細血管なら横断しても出血しない。これが、刃物であるメスやハサミとは異なる便利な点だ。

 高温でタンパク質が凝固するのは、卵の白身が加熱によって固まるプロセスを想像するとわかりやすいだろう。電気メスは、皮膚の切開のみならず、開腹した後も体内で何度も使用する。

ほとんどの人が知らない「シート」

 金属製のメスに比べると、はるかに多用するのが電気メスである。電気メスを使う手術では、患者の体に「対極板」と呼ばれるシートを貼らなければならない。

 電気メスの先から流れる高周波電流を対極板で回収することで、患者の体に電流が流れる回路をつくるのだ。対極板のシートは患者の太ももなどに貼ることが多い。

 全身麻酔がかかって患者が眠ってからシートを貼り、目が覚める前にシートを剥がす。よって、全身麻酔手術を受けた経験があっても、ほとんどの人はこのシートの存在を知らないはずだ。

(本原稿は、山本健人著すばらしい医学を抜粋、編集したものです)

山本健人(やまもと・たけひと)

2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は1000万超のページビューを記録。時事メディカル、ダイヤモンド・オンラインなどのウェブメディアで連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に18万部のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』(幻冬舎)、『もったいない患者対応』(じほう)、新刊に『すばらしい医学』(ダイヤモンド社)ほか多数。
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