過去、東京モーターショー時代は、1954年の「全日本自動車ショウ」から1973年の第20回までは毎年開催されていたが、1974年のオイルショックで中止して以降、第21回の1975年から隔年開催となった。さらに、1999年の第33回から乗用車・二輪車と商用車を分離して毎年の交互開催としたが、2007年の第40回から総合モーターショーとして再び隔年開催となった。以後、この形式で第46回の2019年まで開催され、21年の第47回がコロナかで中止となり、今回4年ぶりの開催に至っている。

 実は筆者にとって東京モーターショーは因縁があり、1954年の第1回全日本自動車ショウの前身は、筆者が社長を務めた日刊自動車新聞社が開催した1932年の日本初の自動車展だ。戦時中の中断を除き毎年開催し、その主催権を自動車工業4団体に譲って自動車工業振興会(その後自工会が吸収)による東京モーターショーが続いてきた経緯がある。

 いずれにしても、ジャパンモビリティショーが閉幕した後も、名古屋・大阪・福岡・札幌・仙台といった地方ショーが来年初頭まで続く。ジャパンモビリティショーは、オールジャパンで日本の未来をつくるという掛け声の下で、先端のモビリティ像を世界に発信する新たなスタートを切ったが、地方都市でのショーはどちらかというと国内自動車市場の活性化につながるイベントだ。

 ジャパンモビリティショーが輸入車では独2社と中国1社のみの出展で少し寂しかった気もするが、地方ショーでは各地の輸入車ディーラーが意欲的で多くの輸入車が出展されるという。

 なお、余談ではあるが、東館で出展された自動車メーカーは日本の乗用車、二輪車、商用車メーカーが主体で、海外メーカーは独メルセデスベンツ、独BMW、中国BYDの3メーカーのみにとどまった。ただ、その中でBYDが特に目立っており、隣のレクサスが和風なイメージで“地味な”ブースだったのに比較して、明るく誘客に力を入れているブースと受け止められた。

 ジャパンモビリティショーへの衣替えは、経団連モビリティ委員会の設置など日本経済・産業の大きなうねりとも連動した試みであり期待したいところだが、今回の開催では会場全体の導線の悪さを指摘する声があるなど、開催会場の問題が浮き彫りになった点もある。

 あるいは毎年開催の是非など改善・議論すべき課題は多く、今後のあり方を主催者の自工会がどう進めていくか、注目したいところだ。

(佃モビリティ総研代表・NEXT MOBILITY主筆 佃 義夫)