人を動かすには「論理的な正しさ」「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。人間が生得的に持っているこの心理的な傾向をビジネスや公共分野に活かそうとする動きはますます活発になっている。認知バイアスを利用した「行動経済学」について理解を深めることは、様々なリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から私たちの生活を取り囲む様々な認知バイアスについて豊富な事例と科学的知見を紹介しながら、有益なアドバイスを提供する。

【教養としての行動経済学】なぜ私たちは「自分に嘘」をついてしまうのか?Photo: Adobe Stock

「行動経済学者」も自分に嘘をついてしまう

「私たちは自分で思っているほど賢くはないし、他人の意見も聞かないし、自分に対する見方が甘い。でも、少なくとも正直ではあるはずだ」と思った人もいるかもしれない。だが実際には、それも疑わしい。

 正直さの度合いも、状況によって大きく変わるのだ。

 自己欺瞞の研究者として知られる行動経済学者のダン・アリエリーは、あるポッドキャスト番組で、正直さと自己欺瞞が、いかに簡単に悪いほうへと転がり落ちてしまうかについて、自らの実体験をもとに説明している。

「私には、深刻なものではないが、障害がある。あるとき、空港の搭乗カウンターでチェックインをしようとしたら、長蛇の列ができていた。

そこで一緒にいた友人に頼んで、特に必要ではなかった車椅子を出してもらった。

すると、優先的に手続きしてもらえた。そう、私は“ずる”をしたのだ。

その時点から、私は車椅子ユーザーとして振る舞うことになった。

だから、機内の座席に腰掛けるには友人に車椅子から降ろして運んでもらわなければならなかったし、トイレに行くにも友人の手を借りなければならなかった。

窓際に近い席に座っていたので、トイレに頻繁に行くわけにもいかず、フライトのあいだじゅう飲み物を我慢しなければならなかった。

最後には、私はすっかり日常的な車椅子ユーザーになりきっていて、機内での不自由さにフラストレーションを募らせていた。

私は航空会社に苦情を言った。車椅子に乗っている人間の扱いがひどすぎる、と」

 アリエリーが、この恥ずかしいエピソードを語ったのには理由がある。

 この話は、自己欺瞞の本質を示しているからだ。何かを信じ込むには、自分に嘘をつくのも効果的だということだ。

 アリエリーが偽りの自分になりきりやすかったのは、実際に軽い障害を持っていたからでもあった。

 このエピソードは、自分を欺いてセルフイメージを変えることが、人の行動に大きな影響を与えることを示唆している。

 他の例として、人が寄付を求められる状況をどう避けるかに注目してみよう。

 スーパーマーケットの入り口に募金活動をしている人がいても、ほとんどの人はそこを素通りして店に向かうだろう。

だが、募金箱を持っている人が目を合わせて話しかけるようにした実験では、通行人の約3分の1がわざわざ別の入り口を使った

つまり、人は「自分が慈善行為を断る人間である」と認めたくないのだ。

(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から一部を抜粋・改変したものです)