「人の心を動かす文章」の条件とは何か――。
ベストセラー『読みたいことを、書けばいい。』の著者で、出版社「ひろのぶと株式会社」の代表を務める田中泰延氏が、古賀史健氏と「書くこと」について対談をおこなった。古賀氏は、『嫌われる勇気』の共著者であり、最新刊『さみしい夜にはペンを持て』(ポプラ社)が大きな話題を呼ぶ業界屈指のライターだ。旧知の仲でもある二人が「自分にしか書けない文章」の正体を明らかにしていく本連載。
第2回では、「いい文章」の条件によく挙げられる「身体性のある文章」の謎を解いていく。(司会/谷綾子、構成/水沢環、編集・撮影/今野良介)

人の心を動かす「身体性のある文章」はどうすれば書けるのか?

書くなら、読もう。

――AIに取って代わられない「自分にしか書けない文章」を書くためには、具体的にどんな訓練が有効でしょうか?

古賀史健(以下、古賀) 僕はやっぱり本を読むってめちゃくちゃ大事だと思います。ライターにとっての読書は、知識や情報を摂取するものであるよりも、表現の自由さやバリエーションを知るためのものです。

人の心を動かす「身体性のある文章」はどうすれば書けるのか?古賀史健(こが・ふみたけ)
ライター。株式会社バトンズ代表。1973年福岡県生まれ。1998年、出版社勤務を経て独立。著書に『嫌われる勇気』(共著・岸見一郎)、『取材・執筆・推敲』、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(共著・糸井重里)などがある。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。2015年、ライターズ・カンパニーの株式会社バトンズを設立。最新刊『さみしい夜にはペンを持て』

古賀 本当にいいエッセイとかおもしろい小説って、もう書き出しの一文から違うじゃないですか。しかも、その表現がとんでもなく自由。そういうものをたくさん読んでいくと、「ああ、ここまで遊んでいいんだな」と思えて、自分でも自由に書けるようになるんですよ。プログラムとして書かれたようなweb上の文章をたくさん見て読んだつもりになってると、小学生の書く「僕は○○が好きです構文」から抜け出せないんじゃないかな。

田中泰延(以下、田中) 読まないと書けないですよね。インスタントなものをインプットすればなんとかなると思う人は多いけど、決してそうじゃない。わたしの『読みたいことを、書けばいい。』も、実は文章術の本じゃなくて「読み方」の本なんです。ここに「読」「書」って書いてあるでしょ? 

人の心を動かす「身体性のある文章」はどうすれば書けるのか?「読」みたいことを、「書」けばいい。

――ほんとだ。

田中 いいエッセイならば、わたしはぜひ東海林さだおさんの文章を読んでほしいです。やっぱり天才だと思いますよ。中でも忘れられないのが、「もし、ここに醤油がなかったら」と考えるところから始まるエッセイなんですけども(「醤油の奇跡」――『ワニの丸かじり』文春文庫収録)。納豆や生卵、トロロなんかが揃えられた豪華な朝食があったとしても、そこに醤油がなかったら台無しだと語った上で、僕らに「もしもマグロの刺身が目の前にあるのに、醤油がなかったら」と問うわけですよ。ちょっと想像してみてください。醤油なしの刺身を。

――なんか……飲み込めないかもしれません。

田中 でしょ?(笑)もう、いくら噛んでも嚥下できないでしょ、醤油がなかったら。

――醤油の不可欠さがわかりますね。

田中 それを実際にやってみた東海林さんは、「天下の美味が、一変して生ゴミ以下のものになりさがってしまっている」とまで書かれていました。これを読んだときに、すごいなと思ったんです。読みながら、誰もが、醤油をかけてマグロを口に運ぶときのことを思い浮かべる。しかも、飲み込むときの感触まで鮮明に。そんな文章なかなかないですよ。

古賀 東海林さんの文章って、身体的な感覚に訴えかけてるんですよね。だから読んだ人は自分ごととして考えざるを得ない。

田中 そう、本当にフィジカルな感じ。いまだにマグロを食べるときはいつもこの話が頭に浮かびます。

人の心を動かす「身体性のある文章」はどうすれば書けるのか?田中泰延(たなか・ひろのぶ)
1969年大阪生まれ。早稲田大学第二文学部卒。株式会社電通のコピーライターとして24年間勤務し退職。著書に『読みたいことを、書けばいい。』『会って、話すこと。』がある。2020年、「印税2割」「本を書く人が生活できる社会を」を掲げる出版社「ひろのぶと株式会社」を設立、代表取締役社長に就任。

古賀 ふつうのエッセイストやライターが醤油のおいしさを書こうと思ったら、だいたいが遠景のカメラで語るんですよ。

――カメラ、ですか?

古賀 たとえばウスターソースと比べてみたり、「そもそも醤油とは中国から伝来した醤が……」みたいな知識を入れてみたり。自分としては得意ぶって書いてるのかもしれないけど、それはなんにもおもしろくない。それなら広辞苑や百科事典を読んだほうがおもしろいですから。東海林さんの文章は近景のカメラなんです。マグロをめちゃくちゃクローズアップして書いている。

――なるほど。マグロそのものの話ですね。

古賀 だから読者は自分のこととして捉えられるし、おもしろいなと惹きつけられるんだと思います。大きな物語を描くには引きのカメラも効果的なんですが、日常のエッセイみたいな小さくて切実な物語を書くのなら、近景のカメラのほうがおもしろい文章になると思います。

文章の「身体性」ってなんだ

――先ほど「フィジカル」という話が出ましたが、人の心を動かす文章の条件として「身体性がある」っていう言葉をよく聞きます。でも「身体性のある文章を書こう」と思っても、何をどう書けばいいのかわからない人が多いんじゃないかなと。

田中 定義がふわっとしてますからね。

古賀 というか、「身体性のある文章を書こう」とアドバイスしている人自身もよくわかってないんじゃないでしょうか。他にも「筆圧がこもる」とか「体重を乗せて書く」とか、曖昧なアドバイスがとても多い。僕は、そういうのって全部「エモ」の言葉なんだと思うんですよ。

田中 ああ、エモか。そうかも。

古賀 自分でもよくわからないことを、エモい言葉に逃げてごまかしてるだけ。だからそんなアドバイスは無視していいと僕は思います。

田中 得意気に「身体性のある文章を」と言ってる人が文章に入れ込んでいる「身体性」って、「エモ」と「エロ」ぐらいしかないんですよね。ちょっと体の反応の描写を入れたり、感情の高ぶりを書けば、それが「身体性」なんだと思っている。

古賀 そう。たとえば、インタビュー原稿の地の文で「……そう言って、田中さんはくすっと笑った」みたいな描写を入れるのもそうです。「くすっと」とか「照れ臭そうに」とかの視覚的な印象を入れることが身体性なんだと考えて、それを盛りだくさんに入れてしまう。それで「エモい文章」とか「私にしか書けない文章」だと思い込んでいる。違うんですよ。それは「余計な俺」であり、ノイズなんです。

――……この対談を記事にするときも気をつけます。

田中 なんかギャグ言ったときに「今の笑うところだよ?」とか言うのに似てますよね。

古賀 よく言われる話ですけど、「隠し味」は隠れているからこそ成立するんです。たとえば、カレーに小さじ1杯のケチャップを入れるとおいしくなるとしても、「ケチャップ味のカレー」になるまでケチャップを入れたらダメじゃないですか。

――酸味の強いハヤシライスが浮かんで唾液が出そうです。

古賀 文章に個性を出すことをめざしたり、エモい文章を書きたい人って、隠し味を過剰に入れちゃいがちなんです。「ここに入れてるよ」って気づいてほしくてテクニックまみれにする。それってつまり、読者を信じていないってことなんですよね。