勇猛果敢に行動することが、すべての状況を好転させるとは限りません。襲撃者の数がわからず、どんな武器を所持しているのかも不明な場合、勇猛果敢な行動は、かえって身を危険にさらしてしまう可能性もあります。
実際に、格闘技経験のある人物が、数人のチンピラと戦い、刃物で刺されて命を失うという事件が海外で起きています。これは「相手を倒したい」という欲が強すぎたために、勇猛果敢な行動に繋がったからです。もう少し、彼が臆病であったなら、命を失うことはなかったのではないでしょうか。
護身術に必要なのは「臆病さ」です。臆病であっていいんです。己の臆病さを恥じる必要はありません。臆病であることを認めるのは「負け」ではなく、むしろ、己の臆病さを受け入れる勇気を持つ人間です。
「生き延びること」が最大の目的であるならば、臆病であっていいんです。
「負けない戦い」という考え方
最初にお伝えした「困難な状況でしぶとく生き延びる、決して折れないしなやかな強さ」を私は「真の強さ」であると考えています。
たとえば格闘技的な強さをイメージすると「鉄のような強さ」となりますよね。この「鉄のような強さ」を求めれば、その戦い方は「勝つための戦い」になります。しかし、「勝つための戦い」は、リスクが高く、護身術には向いていません。
では、「真の強さ」を、護身術に応用すると、どのような戦い方になるでしょうか?
それが、「負けない戦い」です。この戦い方の優れたところは、「勝つ」ことにこだわらず、「負けない状態」に徹することで、相手は攻略が難しくなることです。
たとえば、格闘技の経験がない人に、「勝つための戦い」をしてもらうと、格闘技経験のある人には簡単に負けてしまいます。ところが、同じ人に「負けない戦い」を実践してもらうと、先ほどと比べて途端に手強くなり、格闘技経験のある人でもなかなか倒せなくなるのです。
その変化に本人自身が驚き、「負けない戦い」の有効性を実感されるほどです。
今回は「負けない戦い」のためにある究極の構えを皆さんにお伝えできればと思います。