進太郎さんから「小泉さんは今後何がやりたいの?」と聞かれ、当時自分が考えていたのは「ミクシィを超えるような会社をつくりたい」ということでした。「その可能性がありそうな会社があれば一緒にやりたいと思っている」と伝えたら、「じゃあメルカリで一緒にやろうよ」という話になったんです。

フリマアプリは自分が好きな「インターネットによる個のエンパワーメント」という文脈にも合っているし、プラットフォーム型のサービスということで、自分がミクシィで培ってきた経験なども生かせるなと思ったんです。その後、共同創業者の富島寛さん、石塚亮さんの2人と話をし、12月に参画することになりました。

──当時から「メルカリは勝てる」という確信があった。

その確信はありましたね。フリマアプリは1社が大きく勝ち切る、いわゆる「Winner Takes All」のビジネスだと思っていました。メルカリが誕生する1年前から女性向けフリマアプリという切り口で「Fril(現:ラクマ)」が先行していましたが、まだ“Winner”と言えるほど大きく勝ち切れている状況ではない。自分がこれまでに培ってきた知見やノウハウをすべて注入し、Winnerになるために全力で走れば、絶対勝てると思っていました。

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──当時のメルカリは山田さんがプロダクト開発に注力し、それ以外のことは小泉さんが担っていたと思います。メルカリをWinnerにするために、具体的にどんなことをやったのか。改めて教えていただけないでしょうか。

会社の経営は、「自動車」に例えると分かりやすいです。前輪がプロダクトだとすると、後輪が広報・PR。良いプロダクトを開発し、それをきちんと世の中に伝えていくことが根幹にあります。そこに資金という“ガソリン”があって走ることができる。そして、ハンドルを握って運転する役割を担うのが経営・人事というイメージです。このすべての要素がきちんと噛み合わないと、会社はうまくいきません。

当時のメルカリは良いプロダクトはあるけれど、広報・PRができていない状態だったんです。Winnerになるためには、後輪をどう回していくかがすごく重要になるな、と。もちろん、PRにも力を入れるのですが、認知度を一気に高めてアプリのインストール数を増やし、GMV(流通取引総額)を上げていくには、ペイドメディアを活用した広告にも力を入れていかないといけない。そのためには当然、一定の資金も必要になります。