「スタートアップエコシステムがメインストリームになる」ための責任

佐俣氏は2012年に独立してANRI1号ファンドを立ち上げたが、それ以前は独立系VC・East Ventures(EV)でスタートアップを支援していた。その頃、活動の中心となっていたのは六本木エリアだった。

西麻布・星条旗通り沿いにあるセイコー六本木ビルには、EVの投資先であるフリークアウトをはじめ、CAMPFIRE、コイニー(現:STORES)、カンム、みんなのマーケット、mieple(現:Fond)などが入居しており、佐俣氏もよく出入りしていたという。また夜になれば六本木駅にほど近いスタンディングバー・awabarに起業家や投資家らが集まり、ビジネスについて語り合っていた。今では渋谷を筆頭に、五反田や、東京駅周辺など、都内でもスタートアップが集積するエリアは複数あるが、2010年代前半の国内スタートアップの中心地と言えば、渋谷と六本木だった。

そんな六本木に2023年の今、インキュベーション施設をオープンした理由は何なのか。佐俣氏は1つのスペースで投資家と投資先が集まれるようワンフロアで、さらに投資先の入館などについて交渉できるオフィスを検討した結果と説明する。条件にこだわった背景には、VCとしてのある危機感があったという。

(渋谷にあったインキュベーション施設の)GMBはコンサバに運用していたんです。マンションタイプというか(投資先ごとに部屋の分かれた)個室でした。


人数が増えてきたのでインキュベーションエリアを自分たちの個室にしてしまったんですが、そうなると(投資先がANRIのメンバーに)会いにくくなってきてしまったんです。このままだと僕たちが“普通のVC”になってしまうという危機感がありました。(佐俣氏)

いつでも投資先と会話できる環境を取り戻す、そんな思いから300坪強のインキュベーションオフィスを立ち上げたANRI。今後は、スタートアップの認知を世の中のメインストリームに押し上げたいという思いもあると佐俣氏は語る。

スタートアップって、もともとはカウンターカルチャー的なものだったと思います。大企業からは見向きもされず、馬鹿にされていました。以前のインキュベーション施設も、そんなカウンターカルチャーの匂いがするからこそ、いいと思っていました。

 

ですが今は政府の「スタートアップ5か年計画」も始まり、スタートアップがメインストリームになるタイミングです。僕らが斜に構えている場合じゃない。ANRIも(設立時の)27歳・1人の組織でもありません。VCとしてLPの大事なお金を預かっている存在ですし、その責任もあると思ったんです。VCとしても、「(仲の良い、家族感覚のチームという意味で)ファミリー」としてやっていこうと考えていたところから、「組織」としてやっていこう、と。

 

例えば(新型コロナワクチン開発の)モデルナは2010年設立のスタートアップです。社歴で見れば、ANRIと変わりません。普通に考えるとモデルナは「人類を救っている」と思うんです。ですが(ANRIはそういうスタートアップを)作れていませんよね。モデルナのような会社でも、そうでなければダイナマイトのようなものを発明するでも、新しい物理法則を見つけるでもいいんですが、それを「僕」じゃなく「組織」としてやっていきたいんです。

2030年以降の「未来」をスタートアップと作る

佐俣氏が27歳のときに1人で立ち上げたANRIは、設立10年を過ぎてジェネラルパートナー(無限責任のパートナー)3人を含む、20人超の組織に拡大した。投資先は200社以上、ラクスルやクラウドワークス、UUUMなどのIPOをはじめとして、イグジット実績は10社以上になった。

また2020年に掲げた「4号ファンドにおける女性起業家投資先比率20%」という目標には、80社の女性起業家から問い合わせがあり、YOUTRUSTやSHEなどのスタートアップに投資を実行。目標を達成した。2022年7月にファーストクローズを発表した5号ファンドは2023年内に400億円規模でファイナルクローズを目指すが、そこでも女性起業家比率20%以上の実現を計画する。

かつては投資先であるコインチェックにおいて仮想通貨の流出事件が起こり、起業家とともに事態の収拾に奔走した。またプライベートについてスキャンダラスに報じられる投資先起業家もいた。佐俣氏の言葉を借りるなら、カウンターカルチャーと社会との摩擦に対峙(たいじ)することも少なくなかった。だが今では機関投資家からの資金も預かる、国内最大級のシードVCの1社として組織を拡大させている。