最初に取り組んだのがECサイトの運営だ。物を仕入れ、販売し、そこで得た利益を再投資する──。「ECには商売の基本の1サイクルが全て入っている」と考え、インターン先の人材会社でEC事業の立ち上げを提案し、自ら運営した。
北海道のカニに始まり、チーズケーキやサプリ、化粧品まで。時には有名店と交渉してネットに出回っていない商品を販売したり、OEMに挑戦したりもした。必ずしも毎回上手くいったわけではなかったが、さまざまな物を扱う中でビジネスの仕組みを学んだ。
そんな日々も、就業先の倒産によって状況が一変する。個人でまたゼロからECにチャレンジするのか、それともどこかに就職するか。進路を迷っていた矢先に出会ったのが後に入社することになるネットエイジ(現:ユナイテッド)だった。
「ネットエイジは何人も起業家を輩出していて、起業家を志すような人材が集まるような環境でした。しかもちょうどモバイル広告の部門を立ち上げるフェーズ。ECをやる中でこれからモバイル広告の分野が伸びるだろうと肌で感じていたため、その仕事を経験した上で3年後に独立することを決めて入社したんです」(武田氏)
当時のネットエイジはのちに“ネットエイジマフィア”と呼ばれるほど、後年起業家として名を馳せるメンバーが関わっていた。グリー創業者の田中良和氏やミクシィ創業者の笠原健治氏などがその代表例だ。
そのネットエイジで経験を積み、3年後に退職した武田氏だったが、すぐには起業せずに1年間の準備期間を設定。事業の方向性をじっくり考えるべく学生ビザを取得してシリコンバレーに渡る。
「以前ソフトバンク創業者の孫正義さんが『どの山を登るかで人生の半分が決まる』といった趣旨の発言をされていて、それが心に残っていました。実際にECでも何を売るかで売上規模が全然違っていたし、広告事業でもどの業界とビジネスをするかによって大きく結果が変わっていた。過去の経験を踏まえても、『どれだけ頑張るか』以前に『どこで頑張るか』が重要だと感じていたんです」(武田氏)
結果的に武田氏は2010年1月から10ケ月ほどアメリカに滞在し、現地でリサーチをしながらひたすらビジネスプランを考え続ける日々を過ごすことになる。現地で出会ったイノベーションの種からRettyのアイデアが生まれたのは、その数カ月後のことだ。
スマホの登場で「発信者が爆発的に増える」 と確信
アメリカ生活を通じてさまざまな発見をする中で、武田氏は特に2つのものから衝撃を受けた。1つがスマートフォン、もう1つがFacebookだ。