グルメ情報の「投稿サービス」としてスタートしたRetty
ローンチから数年の間、Rettyは「投稿のしやすさ」に重きをおいた「投稿サービス」だったと武田氏は振り返る。
ある程度の数のクチコミがなければ、飲食店を探している人の参考にはならない。まずはクチコミを集めるために、投稿体験の優れたサービスを目指した。
初期のユーザーは「ブログやSNSなどでグルメ情報を積極的に発信している人に、片っ端からメッセージを送ってRettyを使ってもらえないか打診する」ことで獲得。Retty上の投稿がSNSにも同時にポストされる機能を実装し、ソーシャル経由でユーザーが別のユーザーを連れてきてくれるような仕組み作りにも力を入れた(Rettyでは当時“ソーシャルリーチ”という指標をとても重要視していた)。
同じ時期にグルメ領域のCGMもいくつか生まれたが、どれも爆発的な成長を遂げるまでには至らず、ピボットの道を選択するプレイヤーも多かった。その点Rettyはいち早く参入し、サービスローンチ後の2011年8月には2200万円の資金調達にも成功。スタートアップ関連のメディアでも新興グルメサービスの代表格として何度か言及されていたため、そこから継続的に流入があったことも大きかったようだ。
同社では熱心に投稿してくれるユーザーを中心に定期的にオフ会を開催し、どんな機能があれば便利かを徹底的にヒアリングした。そしてその結果を基に、最初の1〜2年はとにかく「投稿体験の向上」と「(投稿が)SNSで拡散されやすい仕組み作り」だけにフォーカスして、プロダクトの改善を続けた。
そのため筆者がインターン生として入社した2012年10月時点でもRettyには「飲食店の検索機能」が存在しておらず、武田氏から若干白い目で見られつつも、別のグルメサイトを使ってめぼしいお店を探していたのをよく覚えている。
クチコミサービスであれば検索機能はすぐにでも入れたくなるような機能に思えるし、実際に一定数のユーザーから要望もあったと記憶しているが、それでも当時のRettyでは投稿者側のUX改善にリソースを投下することにこだわっていた。
ここでコンテンツを溜め続けたことが、後の急成長にも繋がる。武田氏も創業期にやっていたことで、その後の成長に1番効いたのは「投稿側の体験に絞ってプロダクトを作り続けたこと」だと話す。
たった1人のデザイナーが退社、口座の残高は10万円を切るまでに
もちろん勢いに乗るまでの過程では何度も壁にぶち当たった。創業期にたった1人のデザイナーが退職してしまったことは、Rettyにおけるハードシングスの1つだ。その時はウェブ上に公開されているポートフォリオを基に何人ものデザイナーにアタックし、なんとか新しい仲間を見つけることができたが、ショックは大きかった。