Rettyを立ち上げて以降も周囲やメディアから「既存サービスに勝てるのか」「そもそも実名制は難しいのではないか」と言われることは度々あった。それでも当初から「不思議だけど根拠のない自信があって、絶対いけるとしか思わなかったです」と武田氏は話す。
もちろん最初からマネタイズ方法やグロース施策など細かい戦略まで考えていたわけではなかったが、サービスに対する自信や心境は当時も今も変わらないという。
最初の仕事は「初めてのPHP」を書店で買うこと
ビジネスプランを固めた武田氏は2010年10月に帰国し、翌月TopNotch(2011年8月にRettyへ社名変更)を創業する。
メンバーは武田氏と前職の同僚の長束鉄也氏(現Retty取締役)の2人、資金は親に借りて工面した400万円のみからのスタート。この資金が尽きたら終わりという状況ではあったが、Retty以外はやらないことを決めてサービス作りに取り掛かった。
とはいうものの、2人はいきなり最初の関門にぶち当たる。ともにビジネスサイドの出身だったため「サービスの作り方がわからなかった」のだ。
「僕たちの最初の仕事は六本木の本屋で『初めてのPHP』という本を買うことでした。そこからiOSアプリを作るためにXcodeをダウンロードしてみたり、Photoshopの体験版を触ってみたり。まずはウェブサービスを作るための準備をゼロから始めていった形です。幸い長束はプログラミングに向いていて、習得も早かったのですが、流石に2人でそのままやっていても遅すぎる。外から仲間を引き込みつつ、長束にサービス開発のイロハを教えてくれる先生を探してきて、開発スピードを上げていきました」(武田氏)
当時サービス作りを教えてくれた先生的なエンジニアは、報酬を支払えるわけでもないのに、神奈川県から約2時間かけて六本木のオフィスまで足を運んでくれていたそう。まだ何もない正真正銘のスタートアップではあったが、思いに共感してくれた協力者たちがRettyの創業期を支えた。
3人目のメンバーである内野友明氏もその時期からRettyに関わるようになった。内野氏は当時別の企業で働いていたため、武田氏がオフィスの横の部屋(当時はマンションの1室をオフィスにしていた)を借りて内野氏に住居として提供。平日の夜や土日の時間を使って手伝ってもらう形から始まった。
そうこうして開発を進めること数カ月、なんとか資金が尽きる前の2011年5月31日にWeb版Rettyのローンチにこぎつける。