顔面麻痺に車いす、難病をきっかけに起業を決意
僕はもともと、ウェブディレクターとしてキャリアをスタートしました。ですが、これがけっこう波乱万丈だったんです。
最初の会社はリーマンショックのあおりを受けて倒産してしまい、2社目は会社に警察の捜査が入るようなことがありました。それで3社目に移るんですが、今度は代表と方針が合わなかったんです。何というか、「会社選び」がめちゃくちゃ下手だったんですよね(笑)。
それで、3社目の会社に在籍してる時に、「ハント症候群」という難病にかかったんです。水ぼうそうってあるじゃないですか。あれ(水痘帯状疱疹ウイルス)が顔面神経に潜伏するんですが、顔が麻痺して動かなくなるんです。三半規管にも影響するので、顔面麻痺だけでなく、耳も聞こえないし、味覚もなくなりました。さらには歩くことすらできず、数カ月の間車いす生活を余儀なくされるという時期があったんです。
治るかどうか不安だったんですが、その時間が人生について色々と見つめなおすいい機会になったんです。病気にかかってすぐは心が弱っていたんで「起業しよう」という発想にはならなかったんですけれども、元気になってくると、「会社選びも得意じゃないし、これはいよいよ自分でやったほうが面白いんじゃないか」と考えるようになりました。これからずっとインターネット業界で食っていくんだろうなと思っていたので、友人と一緒に自社サービスを作る会社を作ったら面白そうだなと。それで共同創業者の内藤君(現取締役副社長の内藤研介氏)を誘って起業したのが7年前のことです。
「自分たちができること」から発想したサービスは誰も求めない
起業した当初は「多くて15人くらいの会社を、細々とやっていければいいや」くらいの気持ちでした。自社のサービスを作りつつも、(外部資本を入れずに)のびのびと事業をやるのがいいと思っていたんですよね。
実際、銀行から少しだけ借り入れをして、あとは受託で稼いだお金で自社サービスを作るというようなことをやってみたんですが、これが全然うまくいかなかったんです。
その理由は大きく2つあるんですけども、1つ目はやはり中途半端になってしまっていたということです。半年間かけて自社サービスを開発したらお金がなくなっているんで、今度は受託で食いつなぐ。そして2、3カ月受託をして、ある程度お金に余裕ができたらまた自社サービスを作っていたんですけれども、その受託をしていた2、3カ月の間にサービスは死んでしまいます。そんなことを何度も繰り返していました。