2017年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの魔法』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの魔法Photo: Adobe Stock

「不幸」と「幸せ」はワンセット。「不幸」は「幸せ」の前半分

「幸と不幸の構造」について考えているうちに、ひとつ、思い至ったことがあります。

 それは、「幸と不幸は『たまご構造』である。それも、ゆでたまごではなく『生たまご』なのではないか」ということです。

 たとえば、「おいしい」という概念の前段階として、「空腹だ」という概念が存在しています。

「空腹」という現象がなければ、「おいしい」という現象も存在しません。同様に「のどが渇いた」という現象がなければ、「のどの渇きが潤せて、嬉しい」という現象も存在しません。

 しかも、空腹であればあるほど、おいしさは増していきます。逆に、空腹の程度が小さければ、おいしさの程度も小さくなります。空腹の量とおいしさの量は、明らかに連動しています。

「おいしい」という幸せを味わうためには、どうやら「空腹」という現象(一般的に不幸と考えられている現象)を味わわなければならない、というのが宇宙の構造のようなのです。

 さらに私は、「空腹」という現象と、「おいしい」という現象は、個々に独立しているわけではない、と考えるようになりました。

「1+1=2」という形で存在しているのではなく、半分と半分、「2分の1+2分の1=1」として存在しているように思えるのです。

「空腹」と「おいしい」はワンセットであり、足してひとつになる。つまり、「空腹」という一般的な不幸は、「おいしい」という幸せの「前半分の現象」だとも考えられるのです。

「一般的な不幸というものは、幸せの前半分である」という構造は、じつによく「生たまご」(鶏卵)の構造に似ていると思います。

 ・空腹=たまごの白身
 ・おいしさ=たまごの黄身

 生たまごは、割って器に入れると、白身と黄身が分離しています。

 しかし、シャカシャカとかき混ぜるとまったく境界線がなくなり、見事に溶け合います。

 そして、一度かき混ぜると、それを白身と黄身に分けることはできません。なぜなら、白身も黄身も、本質は同じものだからでしょう。本質は同じだからこそ、完全に混ざり合ってしまうというわけです。

 幸も不幸も、宇宙現象としては存在していないようです。事実や現象はひとつ。ただ、それを受け止める側の「心」が、その現象の価値を決めています。

「とらえ方の違い」で、目の前の現象は、「幸」にも「不幸」にもなります。赤いメガネをかければ赤く見えて、青いメガネをかければ、青く見える。

 今まで「不幸」と思っていたことを「幸せの前半分かもしれない」ととらえてみると、世の中が違って見えてくるのかもしれません。