女性差別を徹底した
天下泰平三百年
そして、茶々が冒頭に紹介した戦国の美学を披露し、徳川の「じり貧型の天下泰平」をあざ笑うという最期は、説得力があった。だが、それならば、「厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど:穢れたこの世を離れ、浄土に往生することを望むという意味)」という、何も変わらない平穏な世の中を理想とした家康の光と影を、気の利いたやり方で論じればよかったのにと思う。
結局のところ、茶々の冒頭のセリフによって、妙に説得力のある問題提起をしておきながら、「茶々には気の毒だったが、その尊い犠牲のもとに、平和で幸福な天下泰平三百年が実現した」というような内容になってしまった。
だが、現実は、李氏朝鮮式の朱子学が幕府の国教的思想として採用されることで、かつては世界でもっとも女性が活躍できる国だった日本は、もっとも差別が徹底した国になった。そして、生まれた身分からほとんど脱出できない国になって、被差別部落の人々への恥ずべき非人道的な扱いも生じた。
たしかに、李氏朝鮮でも変化を忌み嫌う体制は、600年近い平和(日本と清国に攻められた戦いは別)をもたらしたから、自由と平等を犠牲にすることは平和には貢献するらしいが、現代日本人が江戸時代の日本や韓流ドラマに描かれる李氏朝鮮を評価するとは驚きだ。
また、鎖国によって世界文明の発展の恩恵に浴さず、民主主義も産業革命も知らぬまま黒船来航を迎えたし、火縄銃で近代的な軍隊と対峙(たいじ)し、危うく植民地にされるところだった。
同じ時代の中国では清国は康煕帝・雍正帝・乾隆帝という三人の名君が続いて、領土も広がったし、新世界からもたらされたトウモロコシ、イモ、ピーナッツなどのお陰で人口も経済も大発展した。
19世紀の後半に日中の明暗が逆転した原因は、中国では乾隆帝死後の失政でアヘン戦争に負けた後も清朝が生き延びたことであり、一方、日本はそれを見て危機感をもった薩長土肥などのかつての親豊臣勢力の生き残りが倒幕に成功したからである。
そして、茶々が警告したように、家康が望んだ通りの無為無策の天下泰平を三世紀も続けて世界の先進国から転落したのであるが、この40年ほどの日本は、同じ誤りを犯しているようにみえる。
私は、1978年の訪日時に大平正芳自民党幹事長(当時)との会談で覚醒した鄧小平が改革開放政策をはじめたことと、1980年に大平正芳が亡くなったことが、大坂夏の陣のような歴史の岐路だったと思う。
高度成長期には成功したものの、経済の地道な競争力強化でなく、アベノミクスやMMT理論に代表されるような夢のような「魔法のマクロ経済政策」で、痛みを伴わず産業の競争力も改善しなくても金融財政政策だけで経済成長は可能だと勘違いしたときから、日中の逆転は始まった。
無為無策は楽だ。だから、私は「日出づる国」が再生するのは、200年ぐらい低迷した後だろうと予想している。少なくとも「家康は貧しくとも平和な国をつくったから立派だった」と思う人が、日本の多数派でいる限り、低迷は続くだろう。
(徳島文理大学教授、評論家 八幡和郎)