人を動かすには「論理的な正しさ」も「情熱的な訴え」も必要ない。「認知バイアス」によって、私たちは気がつかないうちに、誰かに動かされている。この心理的な傾向を、ビジネスや公共分野に活かす動きも最近は顕著だ。認知バイアスを踏まえた「行動経済学」について理解を深めることは、さまざまなリスクから自分の身を守るためにも、うまく相手を動かして目的を達成するためにも、非常に重要だ。本連載では、世界的ベストセラー『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』から、私たちの生活を取り囲むさまざまな認知バイアスと、「人を動かす」ためのヒントを学ぶ。今回のテーマは、「メンバーの気持ちを冷めさせるリーダーの特徴」だ。(構成:川代紗生)
「メンバーの気持ちを冷めさせるリーダー」の特徴
とあるプロジェクトのチームリーダーを任されたことがあった。上司から提示された売上目標は高く、ただ一方で、取り組みがいのあるプロジェクトでもあった。
私はわくわくしていた。絶対にこの数字を達成させてやるぞと、意気込んでいた。
成功させるためには、チームメンバー一人ひとりに、自発的に動いてもらわなくてはならなかった。
それぞれがいいアイデアを出し、商品を顧客に届けるために頭をひねらなければ、到底達成できるような数値ではなかった。
私は頻繁に、メンバーたちにメッセージを投げた。
「こういうことをやろうと考えています。他にいいアイデアがある方はいますか?」
「何か、ブラッシュアップできる改善案があれば、ぜひ教えてください」
しかし、社内チャットでいくら投げかけてみても、誰も反応してくれない。ときどき、短文のコメントがくる程度だ。
「昨年、こういう企画をやっていたので、今年もこれをやってみたらいいんじゃないですか」。雑談混じりに、直接きいてみても、「うーん、考えてはいるんですけどね。思いついたらなんか書きます」。
やる気がないのは明らかだった。
こんなにがんばってるのにどうして。彼らと心が通じておらず、私一人で空回りしている。日ごとに焦りは募り、ついに、私は苛立ちをこめて、こんなメッセージをメンバー全員に向けて投げた。
「このプロジェクトについて、以前から何度も呼びかけていますが、アイデアが集まっていません! このままでは、このプロジェクトは成功しません。もっと自分ごととして、真剣に考えてくれませんか?」
どんな言葉をかければよかったのか?
かなりの時間が経った今でも、あのころのことを思い出すことがある。どうすればよかったんだろう、と。
結局そのプロジェクトは、数値こそ達成できたものの、チームの空気は最悪だった。ストレスが溜まっているのも、いやいやながら私の指示に従っていたのも知っていた。
どんな伝え方をすれば、メンバーたちに意欲的に取り組んでもらえたんだろうか。そんな問いがうっすらとずっと、私の背中に付き纏い続けている。
あるいは、管理職経験、リーダー経験のある人なら、似たような葛藤を抱えたことがあるかもしれない。あなたは、どんな言葉のかけ方をしていただろうか。
「良くない行動」を指摘しても、問題が改善されない理由
「良くない行動」を指摘しても、問題は改善されない──。『勘違いが人を動かす』に書かれていたそんな言葉が、ぐっと心臓の奥に刺さった。
「認知バイアス」の驚くべき効果について綴られた本書には、「人は、なぜ思うように動いてくれないのか」「どうすれば動いてくれるようになるのか」のヒントが書かれている。
「良くない行動」を指摘しても、改善されないのには、「人と同じじゃないと不安」「周りと同じことでリスクを回避したい」という、社会的な認知バイアスに理由があるという。
人間はもともと、群れる動物だ。まわりのみんながやっていれば「自分もやったほうがいいかな」と思うし、誰一人やっていなければ「何かしら、みんながそれを避ける理由があるはずだ」と考える。
たとえば、トイレの張り紙に「トイレが汚れています。きれいに使ってください」と書くよりも、「いつもきれいに使ってくださってありがとうございます」と書いたほうが、清潔になりやすいというのは、有名な話だ。
良くない行動を指摘すると、人々はそれを「誰もがしている普通のこと」だと感じてしまう。
「ちゃんとやって」と騒ぐほど、「やらないのが当たり前」になる
本書でも、職場で人が動いてくれない例をあげ、その問題点を指摘している。
人は、自分と同じ状況の人間がいると安心する。「なんだ、みんな意見を提出してなかったんだ。自分だけ時間を費やしたりしなくてよかった」と。メールを見てメンバーはほっとしているはずだ。
これで、素晴らしいプロジェクトは、不人気のつまらない取り組みになり果てた。認知バイアスの使い方を間違えてしまったからだ。
おそらく、私がリーダーをやっていたチームでも、似たようなことが起きてしまっていたのだろう。認知バイアスの使い方を間違えたのだ。
私は、毎日必死に「みんなちゃんとやって!」と、改善してほしいところを指摘し続けていた。けれどそれは、自分の首をしめているだけだったのだ。
「やってください」と言えば言うほど、「やらないのが当たり前」という空気が蔓延していった。そして、「ひとりで空回るリーダー」と、「それに付き合わなければならない私たち」という分断構造は、どんどん強固なものになっていった。
このようなケースでは、たとえば、こういうメールの書き方がいいだろうと、本書では提案されている。
職場の「ギスギスした空気」の正体
「集団に帰属したい」という人間の欲求は非常に強い、と本書は解説する。
心理学者のソロモン・アッシュは、実験により、「3人の人間が同じ主張をすると、たとえその内容が明らかに間違っていても、4人目はたいていそれを受け入れる」と述べたそうだ。
「仲間外れ」を避けるためなら、「自分の考え」をも曲げてしまう。それほどに、集団から除け者にされることは、私たちにとって大きな恐怖なのだ。
私のことが嫌いだから、私をリーダーとして認めていないから、メンバーたちは動いてくれなかったんだろうな。ずっとそう考えていた。けれど本書の言葉によって、あるいは、別の可能性もあったのかもしれないと思うようになった。
きっと、お互いに意識していないような小さな出来事の積み重ねで、あのギスギスした空気は出来上がっていったのだ。ちょっとした言葉の使い方で、チームに分断ができた。
認知バイアスによって、なんとなく、なんとなく、「リーダーに従うよりも、動かない方が、仲間外れになりにくそうだ」という空気が出来上がっていったのだろう。
これこそ、本書に通底したメッセージだ。
人を動かさなければならない場面で苦い経験をした、もうあんな失敗はしたくないと思うような人にこそ、ぜひ読んでもらいたい一冊だ。
(本記事は『勘違いが人を動かす──教養としての行動経済学入門』より一部を引用して解説しています)