鉄道復旧の重要なカギとなる
金沢駅~穴水駅間を走る3社の関係性
まず、金沢駅~穴水駅間の鉄道ルートが、なぜ3社に分かれたかを振り返ってみよう。互いの関係性は、今後の鉄道復旧における重要なカギとなるからだ。
もともとこのルートは国鉄の路線であり、国鉄の民営化後はJR西日本が運営していた(北陸本線や七尾線など)。しかし、乗客が急速に減少したことから、1987年にJR珠洲線(穴水駅~蛸島駅間。2005年廃止)の受け入れ先として、のと鉄道が発足した。
続く91年に、七尾線・和倉温泉駅までの電化、特急列車の乗り入れと引き換えに、七尾線の一部区間(七尾駅~穴水駅~輪島駅間)がのと鉄道に移管した。さらに2001年、穴水駅~輪島駅間が廃止されたことで現在の形態となった。なお、七尾駅~和倉温泉駅間は、JRとのと鉄道、2社の共用区間(両社が乗り入れ、運賃も均一)の扱いとなっている。
その後、15年の北陸新幹線・長野駅~金沢駅延伸とともに、並行するJR北陸本線の運営が、新たに発足した三セク鉄道であるIRいしかわ鉄道に移管された。これにより、金沢駅~七尾駅への移動は全区間がJR路線だったのが、ルートの喉元に当たる金沢駅~津幡駅間がIRいしかわ鉄道となった。
IRいしかわ鉄道は、七尾線からの乗り入れや、編成を4両から2両に変更した上で増便を行うなどの工夫で乗客数を維持し、赤字続きと見込まれていた発足当初の予想を覆した。年度によっては県からの補助基金を断り、逆に県に利益を寄付するという、他の地方鉄道ではめったに見られない経営方針を貫いている。