名古屋に戻った筆者を
待ち受けていた「数奇な縁」

 筆者は1月8日の深夜に名古屋に戻った。すると11日には、愛知県の県営名古屋空港に、15人の要介護者を載せた自衛隊の大型ヘリコプター「CH47チヌーク」が降り立った。そこから救急車のストレッチャーに載せ替えられたのは、くしくもあの美笑苑の入所者たちであった。

 筆者は空港内で搬送に立ち会った。数日前まで吹雪の中で、潜在的な命の危機にあった人々が、いま筆者の目の前にいる。温かい食事やお湯、部屋にまもなくありつける。ホッとするとともに、美笑苑との数奇な縁に不思議な感覚を覚えた。

 われわれの得ている情報によれば、すでに高齢者施設から被災地域外へ搬出された人の割合は、珠洲市では9割以上、輪島市では6割以上となる(1月28日時点)。他方で、在宅でケアを受けていた要介護者や「自主避難所」にいる要介護者の中に、必要なケアが受けられずにいる人たちが残されている可能性も残されている。

 このことについて、筆者は「三つの問題点」を指摘したい。

 一つ目は、災害時における介護援助の弱さだ。DMATは原則として「被災地の医療を支援する組織」である。他方で、実は被災地の介護・福祉の援助を担う「DWAT(災害派遣福祉チーム)」という組織も存在するのだが、まだDMATほどの組織力はない。

 では、もし将来的に何らかの天災が起きたとき、介護支援を誰が担うのか。今回の地震では、DMATをはじめとする関係機関の協力によって、ギリギリのところで高齢者施設に救援の手が届いた。だが、紙一重だったと思う。繰り返しになるが、在宅でケアを受けていた要介護者を見落としている懸念もある。今後は体制の整備が急務だといえよう。

 二つ目は、大規模に搬出された要介護者たちの「その後」である。高齢者は、外部に搬出されれば「めでたし、めでたし」というわけではない。なじみのある同居者や職員と離れ離れになってしまうケースも多い。彼・彼女らの人生を誰が見守るのか。地元へ帰る日は来るのか。道筋は見えない。この点にも課題が残る。

 三つ目は、介護支援の存続と雇用の問題である。例えば、私たちの訪ねた美笑苑は、珠洲市でほぼ唯一の「介護老人保健施設(リハビリをしながら在宅復帰を目指す施設)」である。だが、今回の大規模搬出によって入所者はゼロになってしまった。

 珠洲市の「特別養護老人ホーム(介護を受けながら生活することを前提とした施設)」においても、大半の入所者が被災地域外へと搬出された。

 これらの搬出は、入所者の命を守る上でやむを得ない決断であったと断言できる。一方で、入所者がいなくなったということは、職員の仕事がなくなったということでもある。