横浜線との直通運転を想定した
「みなとみらい21線」

図3(国鉄発行『東工90年のあゆみ』から) 拡大画像表示

 ただし、この「みなとみらい21線」は現在のものとは異なり、東神奈川駅で国鉄横浜線との直通運転を想定していた。横浜市を縦断し、新横浜を経由する横浜線は市としては都合の良い案だったが、民営化前後ではすぐに着工できる状況になく、みなとみらいの開発を急ぎたい横浜市は待っている余裕がなかった。

 横浜高速鉄道にも出向していた元横浜市都市整備局鉄道事業担当理事の太田浩雄氏は、2022年2月16日に行われたNPO法人田村明記念・まちづくり研究会の公開研究会で、横浜線との直通を断念した後、京急や相鉄、東急などさまざまな方面に当たったと明かしている。

 横浜線とみなとみらい線の直通は国鉄民営化でご破算になり、JRから断ったと受け取られることがあるが、実際は横浜市から断りを入れたそうだ。太田氏は「横浜市が東急に決まってから、私、JRの会社へ行ったけども、はっきり言ってカンカンでしたね。要するに、仁義、切ってないと。横浜市が仁義を切ってなかった」と語る。

 その上で「JRとしては嫌だとは言わないよ。それは国鉄が切り替わって、すぐはできないけども、利権だよ。利権を、だって放棄するわけがないじゃない」と、微妙な駆け引きとすれ違いがあったと振り返っている。

 結局、東急が新たなパートナーに決まるが課題も多かった。東横線の横浜駅は高架で東海道線を乗り越していたが、みなとみらい線につなぐには地下化が必要だ。横浜駅だけ地下化はできないので、東白楽駅から地下化する大規模な造り替えを行った。

 高架下店舗の立ち退き、高架線の撤去費用、廃線に反対する野毛地区との協議、新線建設で生じるさまざまな費用について、横浜市と東急、横浜高速鉄道が協力して対応した。そうして2004年2月1日、横浜高速鉄道みなとみらい線は構想から約20年で開業を迎えたのであった。

 桜木町からみなとみらいへ、2004年の大転換は、横浜150年の歴史を象徴する出来事だったといえるだろう。