結局「会社が編集者一同に言わせてるだけ?」と思われる声明

 筆者が気になったのは以下の3つだ。

1.小学館の「スタンス」とやや異なる、現場目線の状況説明
2.ここまでの会社の対応への苦言や要望
3.芦原さんの死に対して「申し訳ない」という気持ちの表明

 まず、1に関しては多くの人が指摘しているが、日本テレビや小学館の説明は、芦原さんが死の間際に訴えたことと大きく矛盾している。2月8日に編集部員一同の声明とともに出したプレスリリースで小学館はこう説明している。

《『セクシー田中さん』の映像化については、芦原先生のご要望を担当グループがドラマ制作サイドに、誠実、忠実に伝え、制作されました》

 では、実際に芦原さんと一緒に作品をつくって、彼女の作品を守りたいという意向を聞いていた現場の編集者たちは、どのように説明しているかというと、こんな感じだ。

《先生のご意向をドラマ制作サイドに伝え、交渉の場に立っていたのは、弊社の担当編集者とメディア担当者です。弊社からドラマ制作サイドに意向をお伝えし、原作者である先生にご納得いただけるまで脚本を修正していただき、ご意向が反映された内容で放送されたものがドラマ版『セクシー田中さん』です》

 いかがだろう。表現を丁寧にしているだけで、会社の説明とほぼ同じ内容を繰り返しているだけだ。もちろん、企業不祥事が起きた際には、会社のスタンスと社員の発言を統一するというのは、企業危機管理の基本中の基本だが、今回はちょっと事情が違う。

 現場の編集者たちが、作家や読者の不安を解消するために、自ら立ち上がって会社とけんかをしながら、自分たちで声を上げた――というのが大前提だ。だから、会社側と一語一句、同じことを説明していたら、その大前提が崩れて「なんだよ、結局、会社がやらせてるだけかよ」と疑り深い見方をされてしてしまう。

 ならば、どうすればよかったか。これは編集者側がどんなに頑張っても限界がある話なので、経営陣側が「配慮」して、編集者側の声明に「自由度」を与えるべきだった。

 例えば、芦原さんは小学館の編集者にどのような意向を伝えていたのか。「ご意向が反映された内容」であるはずのドラマに対して、なぜ芦原さんはあのような投稿をしたのか。その核心に少しでも近づくような新たな情報を一文でもいいので入れさせてやっていれば、世間の見方もだいぶ変わったはずだ。

 もちろん、会社側からすればリスキーな決断だが、一方で編集者に対する不信感は軽減される。「ああ、この人たちは会社に言われてやっているんじゃなくて、本当に芦原さんたち作家のために立ち上がったんだな」と印象づけられる。それは長い目で見れば、小学館という企業にとっても大きなプラスにもなるはずだ。