直木賞作家・今村翔吾初のビジネス書『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)では、教養という視点から歴史小説について語っている。小学5年生で歴史小説と出会い、ひたすら歴史小説を読み込む青春時代を送ってきた著者は、20代までダンス・インストラクターとして活動。30歳のときに一念発起して、埋蔵文化財の発掘調査員をしながら歴史小説家を目指したという異色の作家が、“歴史小説マニア”の視点から、歴史小説という文芸ジャンルについて掘り下げるだけでなく、小説から得られる教養の中身おすすめの作品まで、さまざまな角度から縦横無尽に語り尽くす。
※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。

【直木賞作家が教える】江戸時代との対比で自分のキャリアを考える…たった1つの着眼点Photo: Adobe Stock

昔と対比させて
自分のキャリアを考える

ビジネス誌では「DXの推進」とか「AIでなくなる仕事」といった見出しを頻繁に目にします。

新しい技術やシステムがどんどん登場して、それについていけないベテラン社員が会社で肩身の狭い思いをするという話もよく聞きます。

思わず「昔はこんなことなかったのに」と愚痴を言いたくなりそうですが、歴史を振り返れば、ベテランの悲哀はどの時代にもありました。

窓際族の愚痴と嘆き

特に時代の節目には、世代間のギャップが強くなりがちです。江戸時代の初期は、戦に優れた人たちが無用になり、すっかり昔の人扱いをされるようになりました。

旗本の大久保忠教(大久保彦左衛門)は、武人が窓際族となった時代を恨み、『三河物語』という本の中で愚痴と嘆きを綴っています。

まさに古株社員の不平不満を書いた日記であり、「どの時代も一緒なんだな」と共感できます。

いまとまったく違う
江戸時代のキャリア観

一方、昔と今でまったく違うのは、キャリア観です。江戸時代の日本には厳格な身分制度が存在していて、生まれた家によって職業が決定づけられていました。

生まれながらに専務の家、部長の家、平社員の家と決まっているようなものです。

ごくごく稀に、殿様が代替わりをするタイミングなどに優秀な人材が抜擢されることはあるのですが、さすがに平社員から取締役というわけにはいきません。

係長➔課長➔部長……という具合に、段階を経て出世をしていくことになります。

階層が固定化されていた時代

すると、これが家中で反発を招き、お家騒動に発展するようなこともありました。

階層は固定化されていて、足軽が君主になるなど絶対にありえなかったのです。それと比べて、現在はどうでしょう。

「親ガチャ」「格差社会」などという言葉もありますが、少なくとも江戸時代よりは努力次第で自分のキャリアを形成できる世の中ではありそうです。

「頑張れば給料も上がるし、出世もできるのだから世の中に不満を持つべきではない。むしろありがたいと思うべき」などと言いたいのではありません。

ダンス・インストラクターから専業作家へ
大胆なキャリアチェンジ

江戸時代より多少でも可能性があるなら、やりたいことを諦めないでほしいのです。

私たちには職業選択の自由があり、自分で会社を作ることもできますし、選挙に立候補して政治家を目指すこともできます。

私自身は30歳までダンス・インストラクターをしていて、埋蔵文化財調査員を経て32歳から専業作家に転身しました。

このように大胆にキャリアチェンジをする人間もいます。

勇気ある人生の選択を

私たちは自由な時代に生きていて、自由な人生を選べといわれるせいで、かえって何を選んでいいのかわからなくなっているのかもしれません。

もう一度歴史を振り返り、選択できる幸せを実感し、勇気をもって人生を選択していくことも大切でしょう。

※本稿は、『教養としての歴史小説』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。