「スポーツ報道」の現場に
「政治」が持ち込まれた弊害
というのも、試合会場となった国立競技場のアウェイ側ゴール裏の一角は、前売りされた約3000枚が日本側に先駆けて早々に完売。試合当日はチームカラーの赤で染まり、2012年のロンドン五輪以来、3大会ぶりの出場を目指す祖国の代表チームを後押しした。
すると、リ監督が言葉を紡ぎ始めるまでに時間を要した。ようやく絞り出した声は小さく、しかも小刻みに震えていた。やがて涙腺を決壊させた指揮官は、最後は号泣してしまった。
「日本全国から私どもに声援を送ってくださった、同胞のサポーターのみなさまにいい結果をもたらすことができず、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。これからさらにいいプレーを、さらにいい試合をお見せできるように努力をしてまいりたい」
冒頭で述べた「涙の会見」の裏側では、このような経緯があったのだ。
リ監督が涙ながらに質問に答えると、まだ日本語に訳される前から、会場には拍手が沸き起こった。一方、戦術面など「サッカーに関する質疑応答」は深まらず、試合後の会見は10分あまりで終わってしまった。だからこそ、日本でも「監督の号泣会見」という切り口での報道が多かったのかもしれない。
だが日本に置き換えて考えてみると、サッカー日本代表の取材に訪れた欧米人記者が、公式会見での質問で「ジャップ」という蔑称を使えば、監督・選手・チーム関係者は不快感を覚えるだろう。サポーターも同様だ。もしかすると、国家間の大問題に発展するかもしれない。
そうした観点からも、故意に「北韓」を使ったのかどうかは別として、今回の件は明らかに韓国メディアの女性記者側に非があったと言わざるをえない。「スポーツと政治は切り離すべきだ」とよく言われるが、それは「スポーツ報道」においても同じだ。
両国間でくすぶる歴史的な摩擦が、スポーツ取材の場に持ち込まれたことが、リ監督の号泣につながったという見方もできる。ネット上でリ監督の涙を揶揄していた人たちにも、こうした事実を知っておいてほしい。