「不良な子孫の出生防止」をめぐる歴史を教訓に…
でも「批判」と「排除」は違う

 戦前から戦中にかけてラジオ、新聞、講演会などで活躍した下村宏氏という「人気文化人」がいた。朝日新聞社の副社長を務めた後、終戦時は内閣情報局総裁だった下村氏の主張は「人種改良を国策」にというものだ。

 これは、犯罪者や障害者を「断種」して、健康で優良な国民だけで繁栄をしていけば、日本人の身体能力や民度もぐんぐん上がって、西洋列強に負けない素晴らしい国になるという考えだ。今聞くと、「やばいヤツじゃん」と思うだろうが、戦前戦中の日本人に下村氏は尊敬の眼差しで見られていた。海外の最新情勢を知り、これから日本はどこへ進めばいいのかを語れば、多くの日本人が膝を打ち、「信者」も生まれるようなカリスマ文化人だった。つまり、今でいうところ成田氏などの「インフルエンサー」だったのだ。

 それだけ世論への影響力の強かった下村氏の「人種改良を国策に」という思想は、戦後も大衆の間でじわじわと広まっていく。1945年の敗戦で、ガラリと価値観が変わって別人のように生きられるほど、人間というのは単純ではないのだ。

 そして生まれたのが、「優生保護法」だ。終戦から3年を経た1948年に成立したこの法律では、下村氏が主張していた「不良な子孫の出生防止」が総則に掲げられている。この文言を根拠に、約1万6000人にも上る障害者が不妊手術を強制的に受けさせられた。

 このように、文化人・下村氏の「人種改良を国策に」に感化された人々が本当にそういう法律を通してしまったという歴史の事実を学べば、文化人・成田氏の「高齢者は集団自決してもらう」に感化された人々が本当にそういう法律を通してしまう可能性はかなり高い。

 なぜなら、日本社会は伝統的に成田氏のようなインテリが主張することを、「えらい先生がおっしゃっていることだから」と過剰にありがたがって結果、世論や政策に影響を及ぼすという傾向が強いからだ。

 その国民性がもっともわかりやすくあらわれているのがワイドショーだ。海外のニュースショーでは、大学教授や弁護士を呼んで、芸能やスポーツという専門外のことまで森羅万象をコメントさせるような風習はない。あれは、「頭のいい人の言うことはなんでも正しいので拝聴すべし」という「高学歴エリート」に対する信仰が生み出した日本特有のシステムなのだ。

 イェール大の経済学者である成田氏は、そんなシステムにピタッとハマる。だから、「集団自決発言」が市民権を得る前に、僭越ながら批判をさせていただいた。これからも成田氏が「高齢者は自決してもらった方がいい」というような主張をしたら、やはり批判をさせていただくだろう。

 しかし、それだけである。成田氏の番組降板を望んだり、起用した広告の取り下げを求めるなんてことはしないだろう。成田氏が口を開けばいつでもどこでも「高齢者は自決すべき」を壊れたラジオのように繰り返す人ならば、問題視をするかもしれないが、そういうわけではない。経済学者として幅広いテーマで言論活動をされているような人を、あの発言ひとつだけで「危険人物」として仕事を奪ったり、社会的評価をおとしめたりするのは、少なくとも「言論の自由」が認められた社会でやることではない。

「批判」と「排除」は違うのである。