2001年に経営学分野で最高峰の学術雑誌『アカデミー・オブ・マネジメントレビュー』上で発表されて以来、アントレプレナーシップや価値創造など幅広い領域に大きなインパクトを与えてきた「エフェクチュエーション」。その日本初の入門書が『エフェクチュエーション 優れた起業家が実践する「5つの原則」』だ。
多くの人にとっては耳慣れない「エフェクチュエーション』という概念について知っていただくため、本連載では同書の一部を紹介していきます。第5回は、「5つの原則」のうちの1つである「手中の鳥の原則」について解説します。(初出:2023年9月9日)

手中の鳥Photo: Adobe Stock

あなたが手にしている1羽の鳥は、姿の見えない多くの鳥より価値がある

 エフェクチュエーションを構成する5つの思考様式には、それぞれユニークな名前が付けられています。そのうち、「目的主導」で最適な手段を追求するコーゼーションとは対照的に、自分がすでに持っている「手持ちの手段(資源)」を活用し、「手段主導」で何ができるかを発想し着手する思考様式は、「手中の鳥(bird-in-hand)の原則」と呼ばれます。

 この名称は、英語のことわざである「A bird in the hand is worth two in the bush.(手中の1羽は、藪の中の2羽の価値がある)」に由来するものです。鳥を得たいと思っている人は、藪の中から姿の見えない複数の鳥の声が聞こえると、そちらを捕まえに行きたい気持ちに駆られるかもしれません。しかし、すでに1羽の鳥を掌(てのひら)につかんでいるのであれば、捕まえられるか不確かな鳥を追い求めるよりも、手中の1羽の鳥を大切にすべきである、という意味の言葉です。

 多くの人は、すでに持っているものを過小評価して、持たない資源を追い求めがちですが、そのために手にしている1羽が逃げてしまう、あるいは少なくとも十分に活用されない恐れがあることを戒める意味も感じられるかもしれません。

 熟達した起業家に対する意思決定実験から発見された「手中の鳥の原則」という思考様式は、彼らが不確実な資源を追い求めるのではなく、自分がすでに手にしている手段を活用して、すぐに具体的な行動を生み出すことを意味しています。どのような手段を持つかは人によって異なると考えられますが、実験データからは彼らが共通して活用する3種類の「手段」のカテゴリが浮かび上がってきました。

 1つ目は、「私は誰か(Who I am)」です。これは、特性や興味、能力や性格など、その起業家のアイデンティティの構成要素を指しています。

 2つ目は、「私は何を知っているか(What I know)」です。これは、起業家が活用できる知識を指しますが、彼らの事業に直接関係する専門的な知識やスキルに限定されるわけではありません。趣味や過去に受けた教育から得た知識、あるいは人生経験を通じて獲得した経験則や信念のようなものも、「何を知っているか」の一部であるといえます。

 3つ目は、「私は誰を知っているか(Whom I know)」です。これは、起業家が頼ることのできる人とのつながり、社会的ネットワークを意味します。熟達した起業家は、具体的にどのような事業を実現すべきかという目的が明確でない状況下でも、これらの手段に基づいて「何ができるか」を発想し、実行可能な複数の行動方針を生み出していました。

 上記の3種類の手段に加えて、「余剰資源(Slack)」を考慮することも有効です。余剰資源とは、組織や社会が所有するものの、必ずしも必要とされていない資源であり、合理的な意思決定を前提とするならばムダや非効率とみなされることもある資源のことを指します。たとえば企業のなかにも、遊休設備や過剰人員、活用されていない技術など、さまざまな余剰資源が存在する可能性があります。こうした余剰資源は、起業家自身が所有する資源ではなくとも、他の人々がそれを重視していなかったり、そもそもその存在にすら気づいていなかったりするため、起業家が個人的に活用することも容易であり、やはり手持ちの手段と考えることができます。

目的ではなく手段に基づくことのメリット

 目的から始めるかわりに、これらの手持ちの手段に基づき発想された「何ができるか」から着手することには、どのような利点があるでしょうか。最大のメリットとして、起業家が今すぐに行動を起こせることが挙げられます。逆に、目的から始めて最適な手段を追求するコーゼーションの発想では、目的を持つこと自体が悪いわけでは決してありませんが、それを実現するための具体的な行動を起こすことが難しく感じてしまう恐れがあるといえます。

 たとえば、目的が抽象的なものである場合、それが必ずしも具体的な行動指針を導くわけではないという難しさが生じます。仮にあなたが起業家として、「40歳までに経済的な成功を収めたい」、あるいは「重要な社会問題の解決に貢献したい」といった目的を持っていたとしても、そのために今日から何に着手すべきかが目的から自動的に導かれるわけではありません。むしろ大きな目的を掲げている時ほど、それが実現された状態と現在の自分とのギャップをどのように埋めていくべきかがわからず、立ち往生してしまうこともあるかもしれません。

 それでは、目的はできるだけ具体化すべきかといえば、そうすると今度はまた別の困難に直面するおそれがあります。たとえば、40歳までに経済的成功を収めるために、「都心部に高所得者向けの人気レストランを開業して成功させる」という、より具体的な目的を設定すること自体はできるかもしれません。ただし、起業家が着手をする時点で、必要な資源の全てを持っていない場合には、まずそうした資源が獲得できなければ目的を達成できないと考えがちになります。つまり、本当にやりたいことは料理を提供して売り上げを作ることなのに、まずは店舗を構えるための資金調達やスタッフの雇用など、必要な資源の獲得に奔走しなければならなくなるのです。

 これに対して、すでに持っている手段に基づいて「何ができるか」を発想し、具体的な行動を起こすというエフェクチュエーションのメリットは、起業家にとって重要なより高次元の目的を諦めることなく、今すぐに着手可能な具体的な行動を起こせることだといえます。たとえば、レストランの開業を考えているのであれば、まだ店舗を持たないうちから、「誰を知っているか」のなかで、飲食店経営に関して知見を持っていそうな人物に連絡を取り、何らかのアドバイスを求めるという行動を起こすことはできるでしょう。また、そうした行動の結果、「現在は外食よりも料理のテイクアウトやデリバリーサービスのほうが需要が大きいので、今すぐに店舗を持つべきではない」という助言を得たとすれば、起業家は、店を構えることを前提にしていた当初のアイデアを見直して、まずはレンタルキッチンを借りてデリバリーに特化したビジネスの開業へ方向転換するかもしれません。

 このように、いち早く具体的な行動を起こすことで、始めには想像もしていなかったような出会いやフィードバックの機会が生じ、そうしたなかで、より適合的な新しい目的が見出されることも、しばしば起こると考えられます。