そうしたら、一緒に立ち上げた栄養士が私のところに来て、「今、ムラカミさんのところで初めてミトンを見た」と言ってきました。とうとう家族がミトンをつけたんですね。「気持ち悪いね、あれ。私、生まれて初めてミトンをつけた人を見た、もうイヤだ」と言って泣いたんですよ。やりたい介護ができる施設を造ろうって一緒に立ち上げた仲間が目の前で泣いている、この状況は何なんだろうって思った。

トップが方針を決めて
職員同士の対立を生ませる重要性

上野 施設でもそんな簡単にミトンや拘束ってやるんだ。

高口 私は、緊急会議を招集して「私はやっぱり縛りたくない。この施設は縛りません」と言いました。会議は真っ二つに分かれます。一つは、縛るしかないんじゃないかという意見です。縛らないと、チューブを抜いて介護はもっと大変になる。「人が辞める→大きい事故が起きる→訴えられる」といった主張をしてきます。

 一方、「でも、縛りたくないです」って小さな声で言う人たちもいる。「だって、イヤじゃないですか、笑わなくなっちゃうじゃないですか」とおそるおそる言うわけですよ。

 このときに、小さい声でおそるおそる言っているのは「理想」なんですよね。理想というのは、何と小さく弱々しいのかと。事故が起きるよというのは、「現実」なんです。現実というのは声が大きくて、迫力があって、強い。

 だけど、職員の意見がこんなふうにしっかりぶつかれるのは、方針がしっかり出ているからなんです。現実と理想が職員の口から出てきて、対立という形で明らかになって話し合いが始まる。

 トップが方針を示さなければ対立も生まれないので、意見も出ないし話し合いにもならない。トップの方針がいいかげんだと話し合いも成立しないんだということが、このときにわかりましたね。トップが方針を言い切って、対立を生むということは大事なんだというのを教わりました。

「だって、縛ったらムラカミさんかわいそうじゃない」って小さい声で言っていた職員が、「事故が起きたらどうする!」とがんがん言っている人たちに、「じゃ、先輩たちは縛りたいんですか?」って尋ねたんです。

 そうしたら、「縛らずに済むなら縛りたくないわよ、だけどね」って、また人数が少ないとか事故とか同じことを繰り返す。そうしたら、その子が「何だ、みんな同じじゃん」って言ったんです。

上野 感動的な場面ね。シンプルな直球が効いたんだ。