パッと聞かれて「身近な仏教語」って何が浮かびますか?

 私は「頂く」を知るまでは、「お盆・お彼岸・喪中・四十九日」など、葬儀に関係する言葉ばかりでした。でも、この文中でも、すでに仏教語がいくつも使われています。「大人・頂く・意識・挨拶」などが仏教語です。

 そういう視点で振り返ると、「あれも仏教だったんだ!」というものがすごくたくさんあります。

 子供の頃にテレビで見た「愛の戦士レインボーマン」という特撮番組、まず主人公を「ダイバダッタの魂宿し…」とオープニングの歌詞で紹介するのですが、ダイバダッタはお釈迦様の弟子の一人です。

 そして変身のときに唱えていた呪文は仏教語でした。「阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)」は、仏様の真理や悟りの境地を表す言葉です。何かお経みたいだったな?と調べてびっくりしました。

 そんなノリで雑学として調べた仏教語ですが、日常生活の中で使われている現代での意味と、本来の意味が少し違うことがあります。

 例えば、「我慢」という言葉、今は耐え忍ぶ意味で使うことが多いけれど、本来は「我を張って慢心すること」で煩悩の一つです。

「なんで?つらいのに煩悩とか酷い言われよう!」と思いましたが、よく考えると、誰にも頼らずに自分でなんとかできると思うのは慢心でもあります。

「耐えることをやめた方が楽になるのでは?」と、本来の意味も知ることで、気持ちを楽に切り替えることができました。仏教語は仏様の教えの一部なので、結果として、意味を知ることで気持ちが楽になる言葉が多いのです。

 そして、雑学でもいいので心の隅でちょっとだけ、仏教語の意味を覚えてほしいのです。日常に頻繁に出て来る言葉だからこそ、繰り返し思い出すことで、気楽に考えられる機会が多いと思います。