金丸元自民党副総裁の三重野元総裁批判でバブル崩壊後の利下げが遅れた

通貨供給はマネーストックやインフレに直結しない!<br />リーマンショック後の世界の常識が通用しない日本

 そもそも、日銀だけが金融政策のメカニズムについて特殊な考え方をしている、という捉え方が間違っているんですよ。先程のバーナンキ発言は、日銀総裁時代の白川方明さんの発言とほぼ同じなのですから。リフレ派の人たちは、もっと客観的に国際的な議論を見たほうがいいです。

藤田 これまでの日銀の歩みを批判する人たちの間では、「1972~73年の金融緩和と、1990年以降の金融引き締めは、致命的な政策ミスだ」と指摘する声がよく聞かれます。まず、前者はスミソニアン協定(固定相場制の終焉)の直後で、かつ、田中角栄が総理になって日本列島改造論が席巻していましたし、金融緩和が遅れたのは日銀だけのせいではないようにも思えますが、どのようにお考えですか?

 いや、後手に回ったのは確かでしょうね。その当時の事情としては、藤田さんが挙げられたこと以外にも、郵貯問題がありました。

 当時は規制金利時代で、公定歩合を下げる際は銀行預金と同時に郵便貯金の金利も下げてくれないと、郵貯への資金シフトが起きてしまう可能性がありました。大蔵(現財務省)を通じて郵政(現総務)省と折衝しなければ、公定歩合を引き下げられなかったわけです。郵政省は貯金金利の利下げに反対で、ようやく郵政省の同意を得たころには、むしろ公定歩合を引き上げるべき局面を迎えていました。ただ行きがかり上、そこで引き下げてしまったんですね。その時点で踏みとどまるべきだった、と思います。

藤田 なるほど。そのような背景もあったわけですか。

通貨供給はマネーストックやインフレに直結しない!<br />リーマンショック後の世界の常識が通用しない日本写真・住友一俊

 もうひとつ、小宮隆太郎先生が指摘されていたように、当時はマネーサプライ(現マネーストック)の伸びが著しく、インフレは顕在化していないものの、過剰流動性が懸念されるべき状況でした。しかし高度成長期には高い伸びが普通だったので、当時の日銀はそのことにあまり危機感を抱いていなかったようです。結果的には、日銀はもっと早く公定歩合を引き上げるべきだったし、マネーサプライの伸びも注視すべきだった、という総括になるでしょう。