想像を絶する感動の瞬間――新しい文化を仲間と創る

「楽天イーグルス」創業という「劇薬」が、僕らを変えた<br />――仲間を巻き込むコミュニケーションとは?<br />元楽天イーグルス創業メンバー対談<br />【小澤隆生×南壮一郎】(その2)小澤隆生(おざわ・たかお)
1999年にビズシークを創業。2001年、ビズシークを楽天に売却し、楽天グループの一員に。2003年ビズシークの吸収合併により楽天入社。2005年、楽天イーグルス立ち上げ担当として楽天野球団取締役事業本部長に就任。2006年に楽天グループを退社、スタートアップベンチャーへの投資やコンサルティング業務を行う。2011年、クロコス設立。2012年にクロコスのヤフー売却に伴ってヤフーグループの一員に。10月にYJキャピタル取締役COOに就任。

小澤 南が会社員で終わったか、ビズリーチやルクサをつくったかは、楽天イーグルスを経験したかどうかがかなり大きな要素だったんじゃないかと思う。僕自身も、中途半端な起業家という中途半端なポジションで満足していたか、広い視野を持てるようになったかは、あの劇薬を飲み込んだことが大きく影響していると思います。結果的に今ヤフーにいるというのも、僕にとっては全部つながっていることなんです。

 そのことについては、本当にそう思います。僕にしても、それまで自分で事業をつくりたいとは一回も思ったことはありませんでした。楽天イーグルスのような、3年間で日本国民の8割が知っている新規事業をつくるという経験を経て変わったんだと思います。

 今振り返ると、すべてがお金儲けの事業なのではなくて、半分はビジネスで半分は文化づくりみたいなプロジェクトだったことがよかったのではないかなと。また、4カ月半で開幕しなければならないという期間が決まっていたのもよかったかもしれません。

 そういう意味で、僕は劇薬を飲んだから覚醒してしまったんです。楽天イーグルスの立ち上げを味わってしまったがゆえに、あれを超えることをやらないと時間がもったいないなと思う自分がいるんですよね。

 小澤さんにとって、あの立ち上げのどの部分が一番強烈な経験でしたか。

小澤 わからないな。あえていえば、全部かな。

 自分たちが考えた球場で、自分たちが考えたユニフォームを着た選手が、テレビでしか見たことのない選手と戦っている。それを自分たちが決めた球場に足を運んだ2万人が見ている。しかも、自分たちが考えたグッズを身につけて、自分たちが考えた歌を歌って、自分たちが考えた球場演出に乗っかっていただき、最後には「勝った!」と言って泣いている。それを見たときに、とんでもないことだなって思ったんだよね。

 その後、東北各地の小学校をみんなで回ったじゃないですか。そしたら、たくさんの子がイーグルスのキャップをかぶってユニフォームを着て、きゃっきゃっと普通に遊んだり、登校したりしてたんだよね。震災後に東北を訪れたときも同じように、被災地でキャップをかぶっているお父さんや子どもたちをたくさん見た。それを見たときに、僕らは本当にいいことをしたんだな、本当に根づく文化をつくったんだなと思ったんです。球場に集まって一喜一憂している姿や、それが球場の外に波及してその土地に根づいている様子を見て、すごい仕事をしたんだなと改めて思う瞬間がよくあるんです。

 でも、やっぱりあの4月1日の開幕のときだな。真っ赤に染まった球場を見て震えたよね。

 思い出すだけでも鳥肌が立ちますね。