シャープ「亀山モデル」はなぜ凋落?
2023年、中国勢のシェアは…

 堺工場の役割は、鉄鋼から電機産業、そしてデータセンターへ変わろうとしている。まさに、産業構造の変化と同調してシフトしていく。その歴史を振り返ってみよう。

 1950年代の半ばから70年代の高度成長期、わが国の石油化学、機械、造船など重化学工業が発展し、鉄鋼需要も伸びた。旧八幡製鉄所の堺製鉄所が建設され、65年に堺製鉄所の第1高炉、67年に第2高炉に火が入った。製鉄所の生産能力拡大は、わが国鉄鋼業の国際競争力の向上に寄与した。

 しかし、70年代以降、鉄鋼業界の事業環境は段階的に厳しさを増していった。73年、第1次オイルショックが発生し、原油価格は上昇した。85年、プラザ合意が成立すると為替市場で円高が進行した。中国や韓国、インドなどの鉄鋼メーカーが成長する一方、わが国鉄鋼メーカーの国際競争力は低下した。

 そうして90年、堺製鉄所の高炉は休止した。鉄鋼メーカー大手は経営統合を進め、リストラを強化。ハイブリッド車(HV)や電気自動車(EV)などに用いられる高付加価値製品の生産技術を磨き、生き残りを図った。

 片や、産業構造の変化はシャープの堺工場にも鮮明に見られる。2007年にシャープが堺製鉄所の跡地を取得し、リーマン・ショック後の09年から堺工場を稼働。04年に生産が始まった「亀山モデル」で、薄型テレビのトップシェアを手に入れた同社は、堺工場建設で事業規模の拡大を目指した。

 ところが、堺工場の稼働後、リーマンショックもあってシャープの業況は急速に悪化した。韓国、台湾に続き中国勢も日本から製造技術を吸収した影響もあるだろう。中国政府は、京東方科技集団(BOE)などに補助金や土地を供与した。中国勢が価格競争力を付けたことで、シャープの優位性は低下した。

 その後23年、世界のテレビ用液晶パネル市場で、中国のBOE、華星光電(CSOT)、恵科電子(HKC)の3社が計65%のシェアを握っている。価格競争は激化し、シャープは生産すればするほど赤字が拡大する状況に陥った。こうして堺工場の大型パネル生産は幕を下ろすことになった。

AI向けデータセンターをつくる!で株価下落…投資家が見抜いた「シャープの根本的な病」シャープ相談役の辻晴夫氏(肩書は当時、左)、小泉純一郎首相(当時、中央)、シャープ社長の町田勝彦氏(肩書は当時)、三重県の亀山工場にて2005年1月 Photo:Koichi Kamoshida/gettyimages