嫌なことはAIに任せる
澤:「じゃあ、何から始めたらいいんですか?」と聞かれたら、僕は「まず謝罪文は全部ChatGPTに書いてもらえばいいんじゃない?」と答えています。
これはネットに出ていたアイデアだったんですけど、必ず言っているんですよ。謝罪文を書くのって、まさに嫌なことじゃないですか。
尾原:そうですよね。
澤:「嫌なことはAIに任せる」のが、僕は鉄則だと思っているので。
謝罪文なんて、書きたくないでしょう? 「この度は申し訳ございませんでした」と、その人の顔を思い出しながら書くのは、屈辱だったりムカついたりするかもしれない。
だけど、ChatGPTが書いたものをコピペするんだったら、そんなに腹が立たないですよね。ニヤニヤしながら、それを見ていればいいんですよ。
伊藤:そうだね。
尾原:本当にそうですね。謝罪文は学びの宝庫だと思っていて。僕は謝罪文を書いたあとで、「なぜこういう文章にしたんですか? 誰をどう傷つけると思って、どこを工夫したのか教えてください」と、ChatGPTに聞くんですよ。
そうすると、「こういう表現の仕方をすると、謝罪しているのに『まだうちの会社の自慢してるよ』って受け取られるんだな。でも俺、そういうことやってるよな」と。
澤:(笑)。
伊藤:なるほどね。
尾原:自分の視点は自分しか知らないから、偏った視点が誰かを傷つけたり怒らせたりしているかもしれない。ChatGPTのいいところは、そこに気づけることですよね。
謝罪文のように、自分が嫌なことをしているからこそ、そうやって視点を仕入れることができる。それは、他の人の視点を学ぶ機会でもある。ラクをするから、逆に学べることもあるわけです。
澤:余裕を持って学べますよね。これって、人に聞くとすごくストレスのかかる話じゃないですか。
「その人からどう思われるか」を気にしなきゃいけないし、同時に「こんなこと聞いたらバカだと思われるんじゃないか」「自分の評価が下がるんじゃないか」と心配になる。だけどChatGPTだったら、何を聞いても評価が下がることはないですからね。
尾原:そうですよね。
伊藤:まさにメタ思考ですね。要するに「謝罪文を書きました。以上」だと、なんの成長もない。だけど解説付きで来ると、「ああ、なるほど」と俯瞰して眺めることで、成長につながる。
「なんでそういうふうに書いたんだっけ?」って、人間にはなかなか聞けないけど、ChatGPTには聞きやすいですものね。これは俯瞰そのものですね。
澤:人間に対して聞くと正面のやり取りになるから、付随するパラメーターが増えすぎちゃうんですよね。
伊藤:おもしろい。
澤:「相手が怒り始めたらどうしよう」とか「時間を奪っちゃって申し訳ない」とか、心配しなきゃいけないことがいっぱいあると思うんですよね。それがChatGPTだと、ぜんぜん気にしなくてもいいし、本質だけに向き合えばいいですからね。
尾原:確かに。