これまで日銀は金融政策で何度となく判断ミスを犯してきたと指摘されるが、それは真実なのか?そして、足元で黒田総裁率いる新体制の日銀が掲げる大胆な金融緩和は正しい判断なのか?『金融緩和はなぜ過大評価されるのか』著者のシティグループ証券取締役副会長・藤田勉さんと、京都大学公共政策大学院教授で『金融政策のフロンティア:国際的潮流と非伝統的政策』著者の翁邦雄さんが熱く論じ合う対談後編です。 

日銀が犯した致命的判断ミスは、ゼロ金利の一時解除だった!

藤田 実は私、当時の経済白書にすべて目を通してみたんですよ。すると、1990~91年においてはまだ危機感がほとんど感じられない内容でした。「株価が下がっているのは、上がりすぎたものが調整しているにすぎない」といったニュアンスの見解です。ようやく92年になってから、「実はとんでもないことになっているらしい」と当時の内閣府が認識し始めたのが実情のようです。

 翁先生がおっしゃるとおり、後になってから振り返れば「あのときはこうすべきだった」と批判されるものの、当時としては日銀だけが不可解な対応をとったわけではなさそうですね。

心配なのはむしろデフレを脱却できた後のこと<br />ゼロ金利を抜け出す財政コストが看過されている翁邦雄(おきな・くにお)
京都大学公共政策大学院教授。1974年東京大学経済学部卒業。同年、日本銀行入行。シカゴ大学Ph.D.(Economics)取得。日本銀行金融研究所長を経て、2009年4月より現職。専門は金融論、金融政策論、中央銀行論、マクロ経済学、国際金融論。『期待と投機の経済分析ーー「バブル」現象と為替レート』(東洋経済新報社、1985年)、『ポスト・マネタリズムの金融政策』(日本経済新聞出版社、2011年)など著書多数。近著に『金融政策のフロンティアー国際的潮流と非伝統的政策』(日本評論社、2013年)。

 不可解ではなく、通常の景気循環を前提に考えるならば、非常にニュートラルな対応だったと思います。いかに危険な状況に陥りつつあるかについては、政策当局者は、おそらく誰もまだ十分認識していなかった。先々で発生しうる金融システム問題の逆風を理解していればもっと早い段階から動いたはずですが、その時点では、誰もその後の展開を予想できていなかったと思います。

藤田 確かに、消費税導入(88年)後のインフレ率は0.9%にとどまり、原油価格も大きく下落していました。ただ、それでもリフレ論者の間では、「日銀は政策を誤ったにもかかわらず、それを認めようともしない」といった類の批判が根強いですよね。

 後知恵でなく、リアルタイムにおいても間違った判断をした、と言えそうなのは、2000年8月の金融政策決定会合で決まったゼロ金利解除ですね。あれは日銀のその後に関して、いろいろな意味で尾を引く結果となってしまいました。なんといっても、日銀はインフレばかりを気にしてデフレはどうでもいいと思っているという印象を植え付けてしまったと思います。

 ゼロ金利解除と比べれば、1990~92年の対応はリアルタイムの認識では最善を尽くしていた、という意味で罪がかなり軽いでしょう。72~73年の対応はリアルタイムで問題を認識する手がかりはより多かったものの、郵政省などとの調整にほとほと手を焼いていた当時の公定歩合変更プロセスに照らすと、ゼロ金利解除よりもまだ情状酌量の余地があると言えます。