(1)アラビア語の勉強はせず、カイロの日本人商社マンの相手ばかりしていました。小池氏の父がエジプトで利権漁りをするため、カイロを訪れるたびに娘と商談の席にホステス代わりに連れ出されます。カタコトのアラビア語を話し、振り袖の彼女はモテたそうで、口の悪い日本人留学生はゲイシャガールと呼んでいたそうです。

(2)彼女はルームメイトとともに、アラビア語を勉強するために部屋をシェアしていました。しかし、ルームメイトによると次々と男性客が訪れてきます。ルームメイトはお茶を出したり、料理を作ったりで勉強などするヒマがなく、小池氏が日本の商社の男性に誘われて、ゴルフやテニスに出かけるとき、集中的に勉強したということです。

(3)仕送りは全くなく、どうやって生計を立てていたかは、友人もよくわからなかったそうですが、あるとき強烈な体験をします。父親がカイロに来てヒルトンホテルに宿泊。小池は父親に会った後に大きな巾着袋を持って帰ってきました。中から出てきたのは、ヒルトンの備品であるコーヒーカップ、皿、ナイフ、フォーク、シュガーポット。白い巾着袋に見えたのは、テーブルクロスでした。最初は悪戯だと思っていたルームメイトも、同じことが度重なるのを見て、小池氏の生活が厳しいことがわかったといいます。

(4)結局、全然アラビア語を勉強しないまま、パリ短期留学などをしている彼女を、ルームメイトが心配し、一度アラビア語のノートを見たことがありました。そこには、あまりに拙いアラビア語が書かれてあり、英語でいえば「This is a pen 」にあたるような言葉がぎこちなく上下していました。「大学入学は大丈夫なのか」と聞いても、本人は「父がドクター・ハーテムという実力者と親しいから、頼んでくれる」と言うばかり。実際、少し時間はかかったものの、ハーテムルートで2年生からの編入入学が実現したそうです。

敵を作り出すのがうまい
「オヤジキラー」の選挙戦

 こうしたカイロ生活の果てに、前述の男性との結婚生活が始まり、ルームメイトとの生活は終わりました。その男性がその後彼女にアラビア語を教える係になったようですが、彼も彼女を支え切れず、短い期間で離婚しました。うまく利用されたとも言えるでしょう。

 その後、帰国してからの親父キラーぶりと出世ぶりは、みなさんもご存じの通りです。オヤジキラーは敵を創り出して選挙をするのがうまく、郵政選挙では兵庫から東京に鞍替えして小泉政権大勝の大功労者となり、都知事選では都議会のドンを徹底的に攻撃して大勝しました。一方の蓮舫氏は、お嬢さん育ちですが、同じく敵を作り叩きのめす言葉が売りものです。

 今回は「姑目線」で2人の私生活から浮かび上がる人物像を見てきましたが、一体どんな罵り合いが始まるのか、ある意味面白い選挙になるのは間違いないでしょう。

(元週刊文春・月刊文芸春秋編集長 木俣正剛)