そこで人類は、“協力”というスキルを、重点的に進化させました。狩りができない仲間に食糧を分けたり、忙しい母親の代わりに子育てをしてもらったりと、お互いの足りないリソースを提供し合い、どうにか生存率を高めようと試みたのです。

 互いに助け合う動物は人類の他にも存在し、たとえばチンパンジーやイルカが、エサのない仲間と食事を分け合うことがあるのは有名でしょう。しかし、それはどこまでも血のつながった親族に限定された行動であり、遺伝的に無関係な個体とまで協力関係を結ぶ生物は私たちだけです。身体の脆弱さに悩み続けた人類にとって、“協力”の進化は、まさにゲームチェンジャーでした。

 ところが、この進化は、同時に人類にとって悩みの種にもなりました。お互いに助け合うシステムの誕生により、“裏切り”という新たな脅威が生まれたからです。

 仲間が狩ってきた獲物を盗む。他の人が見つけた狩り場を先に荒らす。隣人が作った住居を勝手に利用する。敵対する部族と裏で取引を行う。

 協力関係さえ破ってしまえば、裏切り者は簡単にメリットを得られます。同僚のアイデアを盗む社員や、嘘の経歴で良い仕事をもらうフリーランスなど、現代でも似たような例はいくらでもあるでしょう。助け合いのコミュニティが生まれれば、必ずその仕組みを悪用する者も生まれます。

 実際、人類ほど他人を騙すのが好きな生物も珍しく、マサチューセッツ大学の調査によると、10分間の会話中に60%の人間が2~3個の嘘をつき、1日のあいだに上司や同僚を騙す回数は平均で6回にもおよびます。これに対して、他の動物はほぼ真実しか表現せず、猫がのどを鳴らせばそれは満足感の表明であり、尻尾を激しく振ったらそれは確実に不機嫌のサインです。人類ほど平気で仲間を騙す生物は他にいません。

 当然ながら、人類は大昔からこの問題に立ち向かってきました。「目には目を、歯には歯を」の文言で刑罰の基本を作ったハンムラビ法典や、日本ではじめて罪人への死を規定した養老律令のほか、明確な法律がない狩猟採集の社会にも「裏切り者は追放か殺害」と定めた掟が存在します。

 それと同時に、アリストテレスの最高善、中国の儒家が唱えた仁、日本の修身教育における理性などの“倫理”も、裏切り者への牽制をうながすシステムとして使われました。

 いずれも「人として守るべきルール」や「社会における善悪の基準」を設定し、仲間との協力関係を保つための仕組みです。