筆者も20年ほど前、某大新聞に中途入社したとき、これと同じようなことを言う人がたくさんいてドン引きしたのだが、一般庶民の感覚ではこれはかなり自己中心的というか、特権階級的な考え方ではないか。
権力への批判精神が大事だということに異論はない。ただ、だからと言って「権力を批判する側」を特別扱いすれば、なんのことはない「反権力を掲げたプチ権力」がのさばるだけだ。
誰かを厳しく批判するのなら当然、自分たちも同じような批判を受けることもあるし、それに対して真摯に向き合わなくてはいけない、というのが庶民の生きる一般社会のルールではないか。
しかし、野党やマスコミは自分たちの批判には、ああでもないこうでもない、と屁理屈を並べ非を認めない。しまいには「これは言論弾圧だ」「民主主義の危機だ」と被害者ヅラをして煙に巻く。当然、国民はシラける。「エラそうなこと言って結局、他人に厳しくて、自分には大甘じゃんか」と失望をする。「マスゴミ」という批判や、野党の支持率が上がらないのはこれが理由だ。
そして、実はそういうネガティブなイメージを社会に広めてしまったのも、他でもない蓮舫氏ご自身なのだ。「VR蓮舫」はエンタメとしては大ウケだったが、実際にこの厳しい追及を現実社会、つまりは国会でやり続けても民進党の支持は広がらなかった。さらに、立憲民主党になってからは蓮舫氏の伝家の宝刀である「精神的に圧迫感のある追及」によって、自民党支持率が上がったのではないか、という「珍事」まで起きた。この背景を政治評論家の伊藤達美氏は当時こう分析していた。
「ニュースやワイドショーで同じ追及シーンが何度も流れたが、蓮舫氏の口調もあって、不慣れな閣僚への『パワハラ』『いじめ』という印象を受けた。国会の場なので、礼を尽くして論戦をすべきだ。品格のない追及の様子が、男女問わず、野党に悪い印象を与えているのではないか」(2018年11月14日 zakzak)
このように長年積み上がってきた悪い印象が、都知事選に落選した蓮舫氏にブーメランとして炸裂(さくれつ)してしまった可能性は高い。つまり、ご本人からすれば不本意だろうが、「品格のない追及をしてきた政治家」というネガなイメージが社会に定着してしまったことで、他の落選した人たちよりも叩かれ、「品格のない追及」を呼び込んでしまったのである。
蓮舫氏が気づいていない“政治の本質”
ただ、これは悪いことばかりではない。今回寄せられている批判との向き合い方によって、蓮舫氏は政治家として大化けをする可能性もあるからだ。
世界的ベストセラー『サピエンス全史』を著して「知の巨人」とも評価されている歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏は「人間社会の争い」について、このような趣旨のことを述べている。
《「絶対的な正義」を探し求める人は被害者か加害者の二択で考えがちだが歴史においてそんなことはほとんどない。被害者と加害者が同じであることがほとんどだ》
これは今起きているイスラエルとパレスチナの問題などにも当てはまるが、自分たちが「被害者」だと思っている人は、加害者を憎み、「これまでの恨みを思いしれ」と厳しく攻撃をする。しかし、「加害者」と目されている人たちはそんな自覚がないので、自分たちをいきなり理不尽な攻撃を受けた「被害者」だと思う。