ウォール・ストリート・ジャーナル、BBC、タイムズなど各紙で絶賛されているのが『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』(アンドリュー・ポンチェン著、竹内薫訳)だ。ダークマター、銀河の誕生、ブラックホール、マルチバース…。宇宙はあまりにも広大で、最新の理論や重力波望遠鏡による観察だけでは、そのすべてを見通すことはできない。そこに現れた救世主が「シミュレーション」だ。本書では、若き天才宇宙学者がビックバンから現在まで「ぶっとんだ宇宙の全体像」を提示する。「コンピュータシミュレーションで描かれる宇宙の詳細な歴史と科学者たちの奮闘。科学の魅力を伝える圧巻の一冊野村泰紀(理論物理学者・UCバークレー教授)、「この世はシミュレーション?――コンピュータという箱の中に模擬宇宙を精密に創った研究者だからこそ語れる、生々しい最新宇宙観橋本幸士(理論物理学者・京都大学教授)、「自称世界一のヲタク少年が語る全宇宙シミュレーション。綾なす銀河の網目から生命の起源までを司る、宇宙のダークな謎に迫るスリルあふれる物語全卓樹(理論物理学者、『銀河の片隅で科学夜話』著者)と絶賛されている。本稿では、その内容の一部を特別に掲載する。

【太陽が西から昇る可能性?】過去の経験を積み重ねても論理的には否定できないこと…優れた「科学的推論」を実現するための完璧な枠組み「ベイズ統計」とは?Photo: Adobe Stock

太陽が西から昇る可能性

 極端な例をあげれば、太陽が常に東から昇るということは、私にとって疑問の余地はない。

 しかし、人類がまだ発見していない物理法則によって、来週の火曜日の夜に突然、地球の自転方向が逆転し、水曜日には太陽が西から昇るという、わずかな可能性について、多少の疑いを残しておく必要がある。

 可能性は極めて低いが、合理的な理由だけでは否定しがたいからだ。

 科学哲学者はこれを「帰納法の問題」と呼んでいる。いくら過去の経験を積み重ねても、将来の変化を論理的に否定することはできないのだ。

 こうした類の心配は、実際に起きることはほとんどなく、屁理屈のようなものだが、どんな単純な科学的結果を引用する際にも、そこには、必ずさまざまな疑いが含まれているものなのだ。

ベイズ統計とは?

 時には、日が昇る方角のように、疑い過ぎる必要などない場合もあるし、ダークエネルギーの正確な割合のように、疑ってかかることが大事な場合もある。

 コンピュータが優れた科学的推論を再現しようとするならば、こうした階層的な疑いの可能性を考慮しながら、DENDRALのような論理的で体系的なアプローチに従う必要がある。

 幸いなことに、そのための完璧な枠組みがすでに存在している。ベイズ統計だ。

 科学者は、それぞれの命題を真か偽かではなく、1とゼロのあいだの数値で表すことができる(訳注:たとえば「宇宙の68.5パーセントはダークエネルギーだ」という科学的な主張を命題と呼ぶ。本来、命題とは真か偽が決まる文章のことだが、ベイズ推論では、真と偽のあいだの確率を考える)。

 このような数値は確率と呼ばれる。数値がゼロの場合、その命題は間違いなく偽だ。

 確率が一であれば、その命題は議論の余地なく、100パーセント真だ。しかし、現実の世界に関する記述は、誰も確信することができないため、この両極端のあいだの確率となる。

 もし私が、ある考えを支持する証拠を見つけたら、その考えの確率は一に近づき、証拠がその考えと矛盾する場合は、確率はゼロに近づくはずだ。

 適応力のあるロボット科学者も同じように、白黒がはっきりしない灰色の領域でも、推論できなければならない。

カフェと確率

 私が1時にカフェに到着して、注文をしたとする。過去の経験から、私は30分以内に料理が届くことを確信している。ベイズ統計学の用語では、料理が到着する確率は1にかなり近い。

 しかし、時間が経っても何も運ばれて来ず、注文が忘れられているのではないかと私は心配し始める。

 時間内に料理が届く確率は低下してゆく。

 あたりを見回すと、他の客もみな腕時計を気にしながら待っている。確率はさらに下がる。

 店員の注意を引くこともできず、期限の1時半まであと数秒というところで、確率は限りなくゼロに近づく。

 だが、最後の瞬間、食事が運ばれてきた! 突如として、確率は1まで急上昇する。

 このカフェでの状況は、確率がいかに思い込みの度合いを反映し、新しい情報が入ってくるたびに、それに応じて変化しやすいかを示す良い例だ。

 確率は、頻繁かつ劇的に変動する可能性があり、人によって大きく異なることもある。

 料理を準備するシェフや、厨房が手一杯であることがわかっているウェイターは、一人ひとり、私とはまったく異なる確率を保持しているかもしれない。

 これらの確率は、異なってはいるものの、どれも誤っているわけではない。むしろ、それらはすべて「条件つき」であり、その違いは、登場人物それぞれのさまざまな知識を反映しているのだ。

ベイズの定理と方程式

 これまでのところ、確率が増減する理由についてのみ説明しており、数値が正確にどの程度変化するかという問題は未解決のままだ。

 カフェの場合、数値的な確率は、めったに定量化されたり比較されたりしないため、重要でないように思われる。

 しかし、確率を用いて宇宙に関する新しい情報を評価するロボット科学者にとっては、特定の証拠が確率のバランスを決定的に変えるのか、少しだけ変えるのか、あるいはほとんど変えないのかを知ることが不可欠だ。

 ベイズ統計の中心的な主張は、新しい情報に照らして、確率を更新するための理にかなった方法は、一つだけだ。この変更は「ベイズの定理」と呼ばれる方程式によって決定される。

 そのため、この仕組み全体が、ベイズ確率、ベイズ論理、またはベイズ統計などと呼ばれている(十八世紀の聖職者トマス・ベイズが、その名を冠した研究分野を確立するのに貢献したのは、むしろ周辺的な部分であり、中心的な役割を担ったのは、物理学者ピエール=シモン・ラプラスだったのだが、ベイズの名の方が今も色濃く残っている)。

 ベイズの定理は、確かなことは何もなく、何を信じるべきか誰も決定的に語ることはできないが、「新しい証拠が、予測可能な方法で私たちの意見を変えるはずだ」という、研究者の考え方を数学的な形で表現している。

 天文学において、ベイズ確率の実用的な重要性は、強調してもし過ぎることはない。

 ベイズ確率は、宇宙マイクロ波背景放射の観測結果から宇宙の組成を推定したり、重力波を解読してブラックホールを理解したり、遠く離れた惑星の性質を推測したり、天の川銀河内のダークマターの重さを量ったりするために極めて重要だ。

 これらはすべて決定的な証拠が一つもない、厄介な問題だ。

 ベイズは、さまざまな観察と結果をすべて統合して、可能性が高いものと可能性が低いものを、一元化して評価する枠組みを提供してくれた。

(本原稿は、アンドリュー・ポンチェン著『THE UNIVERSE IN A BOX 箱の中の宇宙』〈竹内薫訳〉を編集、抜粋したものです)