【解説:それは本当に殺された子か? そもそも富をもたらすのか?】

 岩手県のローカルな怪談/妖怪「ザシキワラシ」が広く知られるようになったのは柳田國男(やなぎたくにお)『遠野物語』(1910)から。またそれらの伝承を柳田に語ったのは遠野出身の作家・佐々木喜善(ささききぜん)で、彼自身による著作『奥州のザシキワラシの話』(1920)がさらに知名度を高めた。先述の怪談は全て、佐々木喜善が遠野で聞き及んだ話だ。

 佐々木は同書にて、間引きにより殺され、床下に埋められた乳幼児(=若葉の霊)とザシキワラシとの関連性を指摘した。この仮説は注目を浴び、南方熊楠(みなかたくまぐす)『人柱の話』(1925)、折口信夫(おりくちしのぶ)「座敷小僧の話」(1934)などに引用された。つまりザシキワラシと子殺しが結びつけられるようになったのは、せいぜい二十世紀以降なのだ。

 また佐々木や他の学者たちにしても、ザシキワラシ=間引き説をそれほど強力に主張しておらず、あくまで推測だと断っている。とはいえショッキングな真実をあばくという印象が強いためだろう、現代では「間引きされた子の霊がザシキワラシの正体である」との言説ばかりが支持されるようになっている。

 もちろん昔の日本には、若くして死んだ嬰児の霊に富を期待する信仰があっただろう。しかし当時「あの家はザシキワラシがいるから裕福なのだ」と語られていたかどうか、私は怪しいと思っている。ザシキワラシが語られるのはたいてい栄えていた家が没落した後。「あの家にはザシキワラシがいたが、去っていったから滅びたのだ」と説明される。時系列として過去に遡り、現在における負の側面を強調するかたちで語られる。

 そんなザシキワラシだが、近代に入って「発見」され、さらに1970年代の遠野ブームによって「再発見」されることにより、元々の地域伝承から離れた全国区の妖怪キャラとなっていく。ちょっと考えてみてほしい。旅館や家に出現し、イタズラめいた現象を起こす子どもらしき霊について語る時、我々はどの地域かにかかわらず全て、福をもたらす「ザシキワラシ」として扱っているではないか。

 ザシキワラシが出ると主張する宿は全国各地に点在し、宿泊者たちはそこで幸福を祈願したり、写真におさめようとスマホを構える(たいていオーブが写るとザシキワラシ撮影に成功したとされる)。それらのスポットがインターネットやテレビなどで紹介され、さらなる人気に繋がっていく。福をもたらす幼児霊=ザシキワラシという説明ツールは、もはや完全に日本人に定着してしまった。

 ザシキワラシは殺された子どもだという言説は、これと表裏一体だ。ひたすら福をもたらす明るい存在と解釈されるようになったからこそ、裏返しとしての“隠された真実”が面白さを増す。これもまた、子殺しを重要テーマとする現代怪談の1つの表れなのだろう。もちろん私はそれを否定してはいない。各時代によって語られ方を変幻自在に変えることこそが、怪談というメディアの持つ強みだからだ。