様々な“無駄”を作り出す
日本企業の「入れ子構造」

 よく指摘されるように、日本の組織の特徴は、チームで仕事を受け、作業をシェアしながら進めることにあります。フレキシブルにその都度仕事が割り振られ、メンバー同士の「ヨコの分業」意識も薄いです。

「人の仕事を手伝ったらその人のジョブを奪うことになりかねない」「私の仕事はここまでだから、他の人の仕事は関係ない」といった意識は、海外では当たり前のようにありますが、日本で働く人には希薄です。長期雇用の中で柔軟にジョブを割り振り、部署横断的にPDCAを回すことで、製品やサービスの高いクオリティを可能にしてきた歴史があります。

 日本企業は、こうしたメンバー間の水平的(横方向)な分業意識が低いだけでなく、管理職同士の垂直的(縦方向)な分業意識も低いのが特徴です。

 部長は、「部全体」を代表し、課長はもちろん、その下のリーダー、さらにその下にいるメンバーたちをも「部下」として内包している感覚が強いのです。上位役職者が「チーム全体の代表者」として振る舞い、指示コミュニケーションを行いがちです。本来の組織構造、レポートラインとしては課長に一任すべき内容も、部長や上位の役職者が様々に口を挟み、指示していく。それによって意思決定が重層的になり、煩雑になります。

 部長は課長以下全体に対して代表者のように振る舞い、部長の下の課長もまた、主任やリーダーに任せるべき仕事まで自ら行ってしまいます。役員レベルから主任レベルまで、このような「入れ子」構造が折り重なり、意思決定プロセスが重複することが、日本の組織の実態です。職場で無駄に回される稟議書も、新規事業の承認プロセスの多さも、課レベルの決定事項を後からひっくり返してくる部長も、こうした「入れ子」状のコミュニケーション構造から生まれています。

日本の管理職に期待されているのは
チームの「こぼれ仕事の拾い役」

 日本企業のこうした特徴はデータ上にも表れます。図表33の国際比較では、日本の管理職は、アメリカ・中国と比べて「仕事が不明確」で「突発的な業務」が多い。チームの「こぼれ仕事の拾い役」としての役割が透けて見えます。管理職自身の意識についても日本の管理職は自分を「経営の一員である」とみるよりも、「従業員の1人である」と認識する傾向が強いこともわかっています。

図表3:管理職の役割の国際比較同書より転載
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