山口 資本主義社会とは、お金でコミュニケーションを図る世の中なのだと私は考えています。そして、お金は史上最強の言語であるとも思っています。なぜなら、それは世界共通の数字によって表現されているからです。

 一方で、値段だけで単純比較されがちだという弊害も抱えています。私が考える資本主義の1番の問題点は、世界があらゆるものを数字で評価するようになってしまったことです。たとえば、私が大切にしているこの手帳と、先生が長年の研究をもとに書かれた本の定価が仮に同じだったとします。たとえ同じ値段であっても、それぞれの本当の価値に対する評価は、おのずと人それぞれで違ってくるものですよね。でも、それら文脈をすべて無視して、お金という数字はあらゆる価値を「匿名化」してしまう、そうした特性がお金に対する根本的な嫌悪感にも結びついているような気がします。私たちが、物の価値や文脈を生で伝えるために、贈与経済的なものを志向するには、貨幣が持つこの「数字」という鋭利なメディア特性の弊害があるのではないでしょうか。

岩井 山口さんは若いからイメージしづらいかもしれませんが(笑)、私の両親や祖父母はまだ昔ながらの共同体社会の意識を持って暮らしていました。わたしは、その息苦しさから何とか抜け出したかった。

 フランスの文化人類学者のマルセル・モースが代表著作の「贈与論」において指摘していたように、完全な自給自足は不可能です。人間とは必然的に他人と交換しなければ生きていけない社会的な存在であり、交換こそ人間の本質であるとモースは説いたわけです。未開の社会でも近代社会でも人間は交換してきた。

 違いは、交換の形です。近代以前は「贈与交換」という形をとり、近代に入ってお金を媒介とした交換となっただけです。近代以前の「贈与交換」については、確か山口さんもご自分の著書の中で触れていましたよね。

山口 はい、お金の限界について指摘する際に取り上げました。「贈与社会」が現代に蘇ってくるのではないかという話です。

岩井 最初は相手にモノをあげて好意を示し、その恩に応えてお返しがあれば、またモノをあげるというやりとりが繰り返されていくのが「贈与交換」で、贈与が交換を生み出しています。お互いの信頼関係によって支えられているわけで、きちんと返さない人は「敵」とみなされる。ところが、お金が生まれると匿名性の社会に変わる。人々は互いに相手のことを知る必要がなくなりました。お金さえ払ってくれれば、見ず知らずの人であろうが異民族であろうが敵であろうが、滞りなく交換が行われるわけです。

山口 相手ではなくて、お金を信用している、ということですね。

岩井 正確にいえば、お金を支えている社会の持続性さえ信用すればいい、ということです。社会主義者であるモースは、そのような貨幣社会から贈与交換を取り戻したいと考えていたが、それはともかく、人間関係が希薄になって水臭くなり、貧富の差も生じる。だから、人間は本能的にお金が嫌いです。