人間の究極的な目標である幸せはお金では買えない…
山口 お金を通じた貸し借りと贈与による貸し借りを単純に比較すれば、効率性においては前者のほうが明らかに勝っています。けれど、お金の場合は数字を捉えるという脳内処理だけの判断となって、文脈を読み取ったり心を含めた身体感覚全体で受け止めたりすることが難しい。数字による交換という効率性を追求した結果、むしろ人間としては非効率な交換になってしまっているのではないでしょうか?
岩井 そうですね。人間は絶えず交換している生物で、コミュニケーションにしても言葉を互いにやりとりすることで行っています。お金が登場したことで、確かに「交換」は非常に容易になりました。最初のうちは金や銀を使い、そのうち国家の権威を後ろ盾にするようになって、最近ではほとんど記号だけのやりとりと化してきています。その結果、人間はつねに他人との接触を求めているにもかかわらず、交換の喜びが失われてしまった。円滑な交換のためにお金は生まれてきたわけですが、クリック1つで取引できる世の中となって、交換が交換とは自覚できないほど抽象化してしまった。大昔の交換とは、酋長を筆頭に島の住民全員が参加して盛大な儀式や踊りを繰り広げながら行われるものでした。お金の登場でこうしたものが失われてしまったわけです。
山口 お金が人と人との関係を希薄化してしまったということですね。
岩井 以前、堀江貴文さんが「お金で買えないモノはない」と発言してヒンシュクを買っていましたが、実はそれは産業資本主義に関しての意外と的確な表現でした。かつて産業資本主義の時代では、工場を建設し、機械を備えて大量生産を行えば大きな利潤が得られました。これらはすべてモノですからお金で買える。つまり、お金を持っている人が勝者になる時代だったわけです。
堀江さんはまだその古いイメージを語っていたのですが、今はすでにポスト産業資本主義の時代で、もはや機械制工業は重要でなくなっています。肝心なのは人の創造性で、ここで重要なことは、人はモノではないということです。人はお金では買えません。ということは、お金の価値が弱まり、お金を持っている人が投資先を失って右往左往しているのが現状なんです。それで、先進国の人びとは新興国の安い賃金に目をつけて産業資本主義の復権を図ったり、リスクをとって金融派生商品に資金を投じたりしているわけです。
山口 お金ではけっして買えない創造性に秀でた人にとっては、活躍のチャンスが拡がる社会とも言えますね。
岩井 そう、グーグル、そしてフェイスブックのようなソーシャルメディアがその典型ですね。こうした新しいメディアは人びとに共感を与え、交換活動を与えています。その結果、人びとはお金で買えない何かにしか価値を見いだせなくなり、それらをいっそう欲しくなっていくわけです。