【人気番組『よ~いドン!』(関西テレビ)で大反響!!】
「仕事がおもしろくない」「上司にうんざり」「もう会社を辞めたい!」――そんな思いを少しでも抱えているのなら、ぜひ参考にしたいのが、“90歳代の現役 総務課長”としてバリバリ働いている玉置泰子さんの著書『92歳 総務課長の教え』(ダイヤモンド社)だ。ベストセラー作家・本田健氏も絶賛する泰子さんの教えは、新入社員からベテラン社員まで即役立つ、説得力あふれる教訓が満載。「世界最高齢の総務部員」としてギネス世界記録に認定された泰子さんが教えてくれる、長く幸せに働く63の秘訣は必読! ※本稿は、『92歳 総務課長の教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
いくつになっても
新しいことにチャレンジ
1930(昭和5)年5月15日生まれ。商業高校を卒業後、25歳で三興鋲螺(現・サンコーインダストリー)に入社。以来66年にわたり、経理や庶務の業務を担ってきた。現会長より11歳年上で勤続年数も長いことから、同社の歴史を知る語り部として新人研修の担当もしている。2020年11月「世界最高齢の総務部員」としてギネス世界記録に認定される。著書『92歳 総務課長の教え』(ダイヤモンド社)を上梓すると、たちまち大反響となる。
私の会社では1981年、いまから40年以上も前に、業界に先駆けてパソコンを本格導入しました。私が51歳のときでした。
現会長が社長だった頃、大阪の青年会議所で情報工学の先生と親しくなり、在庫管理や私が担当している経理事務などは電子化に適していると教わったことから、いち早く導入が決まったのです。
51歳でのパソコン導入に戸惑いはありませんでした。全員がパソコン初体験でしたから、「みんなで一緒に新しいチャレンジをしよう」という雰囲気で一歩ずつ前に進んだのです。
困惑するよりワクワク感
そもそも、困惑するよりも「パソコンを導入したら、何がどう変わるんやろか」というワクワク感のほうが強かったことをいまでも覚えています。
それ以前からタイプライターやワープロを使っていましたから、キーボード入力には不安はありませんでした。
ワープロもパソコンも、キーボードはタイプライターの配列からきています。私は商業高校の授業でタイプライターを習っていましたから、タイピングに関してはすぐに慣れました。
時代の変化に対応する力
文字や機能を変換するやり方など、多少違ったりする部分はありましたが、大きな障害にならなかったのです。
思い返してみると、ワープロやパソコンの前には、そろばんから電卓へという大きな変化がありました。
オフィスに電卓が入ってきたのは1970年代のことです。それまで経理事務では、商業高校でも習っていたそろばんを使っていました。
創業者が徹底していたこと
創業者は、「入るを量りて出ずるを為す(収入の額を計算し、それに応じて支出の計画を立てる)」ということを徹底していました。
社員には「1円でも集金できるなら取引先を訪問するように」といっていましたし、私が簡単な計算を暗算で済ませようとしたところ、「1足す1でも、そろばんを使うように」といわれたこともあります。
そろばんは横に長いので、慣れてくると一度に3つくらいの計算ができます。一方、電卓は一つずつしか計算を進められませんが、正しい数字を入力すれば答えは絶対に間違えません。
90代でも若手社員と同じように
エクセルを使いこなす
経理事務では何より正確性が求められますから、私はそろばんから電卓への移行も抵抗がなかったのです。
パソコンが導入されてからしばらくすると、経理事務で使う帳票を表計算ソフト「エクセル」で入力することが求められるようになりました。
パソコンというハードより、エクセルのようなソフトを使い慣れるほうが大変です。それでも、社内の電算室の人が基本的なことを教えてくれましたし、会社のサポートで通信教育でも学びましたから、エクセルも若い同僚たちと同じように使いこなせるようになりました。
長く仕事を続けるうえでの必須条件
文書作成ソフト「ワード」やプレゼンテーションソフト「パワーポイント」など、いわゆるオフィス系のソフトについても、同じような手順で覚えられました。
やはり環境の変化を楽しみながら対応していくことが、長く仕事を続けるうえでの必須条件なのです。
今後新しいハードやソフトが導入されるようになっても、「冷暖自知」の言葉を胸に「ようわからんけど、まずはやってみよう」というチャレンジ精神で対応するつもりです。
※本稿は、『92歳 総務課長の教え』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。