「2重のくびき」――ベールを強制するのは誰か
そういうわけで、誰がイランの女性にベールを強制したのかといえば、もちろんそれはホメイニである。そして、ホメイニ亡きあとは、その腹心たちが引き継ぎ、今にいたっている。
しかし、ベールを押しつける者は、まだほかにもいる。女性たちの家族、とくに男性親族たちである。それは、あるいは父や夫であり、あるいは兄や伯父(叔父)であるかもしれない。
この問題を、イラン人の好きなホームパーティーを例に考えてみよう。
彼らは本当にパーティーが好きだ。年率100パーセントともいわれる驚異的なインフレが、相当に家計を圧迫しているにもかかわらず、今も人によっては毎週末のように家族や親戚と盛大なパーティーを開いている。
そうした席に、たとえば私のような血縁関係のない男性が招待されるとしよう。敬虔な地方だと、そもそも女性が男性客の前に姿を見せず、パーティーと聞いていたはずが、男だらけのむさくるしい“寄合”のようになることもあるが、ほとんどの地域では、パーティーといえば普通は男女混合である。
すると、たいていの女性たちはそこで一切のベールを脱ぐ。家の中に1歩足を踏み入れると、美しい頭髪をあらわにし、かなり露出度の高い服装をした女性たちに迎えられることもしばしばだ。パーティー慣れしていなかったころの私は、目のやり場に困ったり、全身から変な汗が噴き出してきたりしたものだ。
その一方で、ほとんどの女性がベール姿のパーティーもある。もちろん、女性たちが自発的にそうしている場合もあるだろう。だが、実は男性親族の誰かが、女性たちに対して暗にベール(とくにスカーフ)の着用を求めているケースが少なくない。
あらかじめ「今日のパーティーには(ちょっと気難しい)ナントカおじさんも来る」などと聞けば、女性たちはその日は渋々ベールを取ることを諦めてしまう。そして、「おじさん」のほうはといえば、今宵もそろってベールに身を包んだ女性たちを見て、一族の貞操観念と信仰心が健全に保たれていることを神に感謝しつつ、相好を崩すというわけだ。
もちろん、ベールをまとわなかったとしても、「おじさん」が官憲のように殴りかかってくることはない。とはいえ、ちょっとした口論になったりして、パーティーの雰囲気が悪くなる可能性は十分ある。そうなるくらいなら、気が進まなくてもベールを着ておいたほうがマシだと思ってしまうのが人情というものだろう。
だが、女性たちにとってみれば、それが自らの意思に反するという点において、このような家族からの強制も、国からの強制と本質的には何ら変わるところがない。やや大袈裟な言い方をすれば、イラン女性はこれまで、ベールをめぐって国家と家族という「二重のくびき」に苦しんできたのである。
だが、反体制デモ後、こうした状況も確実に変わりつつある。10代や20代の女の子たちは、最近ではもう、ベールを押しつけてくる「厄介者」が来るホームパーティーには、そもそも顔を出さなくなっているそうだ。
「そろそろ準備しなさい。ベールも忘れないでね」
「ベール?じゃあパパとママだけで行ってきたら?」
そんな会話が、今夜もあちこちの家で交わされているのかもしれない。