ベールは信仰の目安?

『イランの地下世界』(若宮總 著、KADOKAWA)『イランの地下世界』(若宮總 著、角川新書)

 日本ではしばしば、スカーフ(などのベール)を自発的にかぶり、強制を苦痛に感じないイラン女性は敬虔なムスリムで、そうでない人は信仰心が希薄であるかのようにいわれている。

 たしかに、全体としてはそういう傾向にある。たとえば、短パンにスカーフ姿でオンライン授業に顔を出すような少女が、真面目に礼拝などしている姿はちょっと想像できない。

 ただ、ベールが常に信仰の目安となると考えるのは間違いだ。

 たとえば、今ここに2人の中年の男がいるとしよう。1人は口ひげを生やし、長髪にベレー帽をかぶっている。もう1人は短髪のオールバックでひげはなく、スマートなスーツに身を包んでいる。

 さて、今「どっちがプロの画家か」と聞かれたら、あなたはどちらを選ぶだろうか。たしかに最初の男のほうは、いかにも画家っぽく見える。だが、短髪にスーツの男が上手に絵を描く可能性だって十分にある――。

 結局、肝心の絵を見てみないことには何ともいえないだろう。なぜなら、ベレー帽とか口ひげというのは、画家を画家らしく見せている一種の「記号」に過ぎず、それと画才とは何の関係もないのだから。

 ベールも同じである。ベールをかぶっているから信仰心が強いとは必ずしも言えないし、かぶっていなくても敬虔な人はたくさんいる。