不老長寿の象徴「菊」と「着せ綿」

京菓子菊の「着せ綿」に見立てた京菓子

 五節句の日程はすべて奇数です。一桁の奇数(1、3、5、7、9)で最も大きな「9」が重なる日を「重陽」として、古来、重要な儀式が執り行われてきました。では、なぜ重陽の節句と菊が結び付いたのでしょう。

 菊は、「翁草」「齢草」「千代見草」などの別名を持ち、中国では、古くから仙境に咲く神聖な花とされてきました。菊の葉に滴る露を飲んだところ不老長寿を得て、700歳を超えても若い姿を保ったという菊慈童(きくじどう)の伝説にちなんで、秋に咲く菊の花が健康や不老長寿の象徴となったのです。

 平安時代の宮中では、重陽の節句の日、菊の花をめでて菊の花を浮かべた菊酒をいただき、菊にまつわる伝統行事を行って不老長寿を願いました。例えば、前日に菊の花の上に真綿をのせて一晩置き、「重陽の日」の朝に菊の露で湿った真綿を頬にあてて、若さと健康を保つ風習があったといいます。

 これは菊の「着せ綿」と呼ばれ、清少納言『枕草子』など古典でも触れられています。藤原道長の北の方(正妻)源倫子から菊の着せ綿を贈られた紫式部は、歌集『紫式部集』の中でこう詠みました。

 菊の花わかゆばかりに袖ふれて花のあるじに千代はゆづらむ

「私はほんの少し若返る程度に袖を触れるだけにとどめておいて、菊の露がもたらす千年の寿命は、花の持ち主であるあなた様にお譲り申しましょう」という意味が込められているようです。

 年上の倫子に対し、若さのマウント(?)とも受け取られかねないこの一句。実際に倫子に贈られることはありませんでしたが、大河ドラマ『光る君へ』で描かれる恋愛模様を思い浮かべながら、この歌を反芻(はんすう)してみると、味わいが深まりますね。

 伝統を守り継ぐ京都の旧家では、着せ綿の風習が今も受け継がれています。らくたび京町家の着せ綿の写真を下に載せておきました。どのようなものか、ご確認ください。この時期、京菓子店では、菊の着せ綿に見立てた京菓子もお目見えしますので、京菓子店や百貨店の和菓子コーナーをのぞいてみてはいかがでしょうか。

着せ綿らくたび京町家(中京区)で重陽の節句に飾った菊の「着せ綿」