落選続きの『絶望』から一転、労働者の日常を描いて評価される

五郎 ところが1849年に、『オルナンの食休み』とか『オルナンの昼休み』と呼ばれる作品が突如としてサロンに入選するんです。入選どころか2等賞になって、国が買い上げた。2等以上で国の買い上げになると、それ以後のサロンは無鑑査になる。つまり、審査されずに作品を出せる資格を得ちゃったわけ。

クールベ『オルナンの食休み』

五郎 そんなに大きな絵じゃなくて、田舎の村の居酒屋で昼飯を食ったあとのおっさんたちが、歌を歌ったり、酒を飲んだりして、ダラダラしているだけの絵なんです。それがなんで急に評価されたのか。この絵が入選したのが1849年。で、ここは前回の復習だけど、前の年の1848年に、フランスでは何があったんだっけ?

アシ あっ、労働者による革命だ!

五郎 そのとおり! 1848年に起きた2月革命は、労働者革命でした。労働者がえらい! っていうことになったから、翌1849年のサロンでも、村の農民ら労働者の憩いを描いたこの作品がすごく評価されたというわけなんですよ。

アシ ミレーが評価されたのと同じ理由ですね!

五郎 あと、画力もすごく評価された。この作品は、古典主義でアカデミーの大ボスだったアングルと、そのアングルが大嫌いだったロマン主義の騎手ドラクロワの両方がほめた、という珍しい絵なんだよ。ドラクロワなんか「突如現れた革命画家」なんて持ち上げたりして。アングルはアングルだから「類いまれな天分の持ち主だが、それを十分生かしきれてないのが残念」とか、ひと言多いけど、それでもちゃんとほめている。

アシ 素直じゃないですね、アングル(笑)。

五郎 で、おらの村の居酒屋を描いて2等賞なら、おらの村の葬式はもっと立派だぞ、って感じで2年後のサロンに出したのが、こちらの『オルナンの埋葬』という作品。村人が集まってお棺を埋め、神父様がお祈りしている。クールベは自信満々だったはずのこの作品は、なぜかボロカスに叩かれた。

クールベ『オルナンの埋葬』

アシ え!?

五郎 どこが違う? 同じだよね。それまであんまりほめられなかった村の労働者の日常を描いた前作と、彼らの村の葬式を描いたこの作品と。いったい何がいけなかったんだと思う?

アシ 人が多すぎる???

五郎 人が多い絵のほうが格上なんだよ、手間がかかるから。そうじゃなくて、『食休み』は1848年に2月革命があって、労働者バンザーイで、サロンの審査基準もそうなっていたから入選できた。でも、そのすぐあとに、ナポレオン3世がのしてきて、保守派が巻き返してくるんだよね。もう労働者を描くの、よくないんじゃないか、という風潮に変わってたのが、1つめの理由。

アシ ミレーのところでもありましたね。世の中の空気が変わった話。

五郎 もう1つは、この絵はデカすぎたんですよ。タテ3m、ヨコ6m以上ある。しかも、クールベはこの作品に『オルナンの埋葬に関する歴史画』という長い正式タイトルをつけていて、これもよくなかった。クールベにしてみれば、歴史画って昔のことばかり描くんじゃなくて、いま起きていることを描けば後の時代にはそれが歴史画になるはずだっていう理屈だったんだろうけど、それは違うだろ、というのがサロンの評価だった。『食休み』くらいのサイズで描く分には、たまには労働者の日常もいいねえ、くらいの評価で済んだけど、この大作は何? 明らかにマジじゃん、と。しかも、それを聖書やギリシャ神話の題材を描く歴史画と同じ扱いにしろっていうのは違うだろ、と叩かれた。

反逆児クールベの真骨頂

五郎 ところが、この人は叩かれても苦にしないどころか、叩かれれば叩かれるほど燃えるタイプなんだよね。しかも、サロン無鑑査になっているから、何を出してもとりあえず展示はされる。で、俺は俺の描きたいものを描いていきますよ、というわけで、その次に出したのが、こちらです。

クールベ『浴女たち』

アシ 今度はエロで攻めてきたわけですね(笑)。

五郎 リアルな肉体を描きましたよ、というわけで、むっちりムチムチのルーベンス風の裸体で攻めてきた。サロンに展示されたこの絵を見たナポレオン3世は、「なんでこんな醜い体を描くんだ」と怒って乗馬のムチではたいたとか。ところが、その話を聞いたクールベは、「だったら、もっと破れやすいキャンバスに描いて弁償させてやればよかった」と言い放った。

アシ ツッパってますね~!

五郎 そんな感じで、とにかく尖った発言が目立つ人でした。ただ絵はわかりやすい上に誰が見てもうまかった。たとえば、この狐。

クールベ『雪の中の狐』

アシ 生きてるみたい。

五郎 でしょ。だから当時フランスの美術界を仕切ってたエミリアン・ド・ニューウェルケルク伯爵という文化大臣的な人がクールベを昼食に誘って、「来たる1855年にパリ万博をやるから、変に尖ってない、きちんとした絵を描いたら、国が4万フランで買ってやる。だから、ちゃんとやろ、クールベ」みたいな助け舟を出したわけ。そしたら、クールベはなんて答えたと思う?

アシ イヤだ?

五郎 それどころじゃないんだよ。「4万フランなんて、別にいらないっす。それくらい自分で稼げますから」と言い放って、昼飯代を払って出ていこうとしたんだよ。さすがに伯爵が怒って、「キミ、その態度は傲慢じゃないか!」と文句を言ったら、クールベはなんて返したと思う?

アシ 「そう言うあなたもよくないですよ」みたいな感じ?

五郎 そんなにちゃんとしてないよ。「傲慢だ」と言われたら、「そっすよ。俺はフランスいち、思い上がった男ですから、じゃあ!」って出ていってしまった。それで伯爵がカンカンに怒って、「クールベはパリ万博に絶対出品させるな!」ということになったわけです。

アシ あいつ出禁、みたいな(笑)。

五郎 そしたら、クールベはどうしたと思う?

アシ たしか……自分で個展を開いたんじゃなかったでしたっけ?

五郎 正解! なにしろ絵が売れてパトロンもついてたから。万博会場の真ん前にパビリオンをつくって、そこに自分の作品だけを集めて展覧会を開いた。これが「史上初の個展」と言われているんだよ。それで、みんなビックリしたわけ。それまでは、なんとかサロンに入選して名前を売ることばかり考えていたんだけど、アカデミーの古い基準では評価されない若い画家たちにとって、自分で展覧会を開くというアイデアは目からウロコだったんだ。

アシ その手があったか! というわけですね。

五郎 これが、のちに印象派と呼ばれる後輩たちが「自分たちで展覧会を開こうよ」と言い出す、最初のきっかけにもなったわけ。

アシ クールベ先輩、ありがとうございますっ!