印象派の後輩たちが革命家クールベ先輩をリスペクト
五郎 クールベは個展のはしりで、宣言のはしりでもあった。さらに社会派、ポリティカルアートのはしりであり、アーティストが政治参加するはしりでもあった。だから、のちの印象派となるバティニョール派の若者たちも、マネ先輩とはいっしょに酒を飲んだりできるけど、クールベ先輩となると尖りすぎちゃってて、憧れはするけど、なかなか近寄れないですよ、くらいの感じだったんだよね。彼がマネと同じようにリスペクトされていたことを物語る証拠の1つがこちら。
五郎 これは、次にとりあげるマネの『草上の昼食』がサロンで落選したことに抗議して、マネをリスペクトするモネが同じテーマ、同じタイトルで描いた作品なんだけど、左端に座っているおじさんは、クールベなんだよ。
アシ あ、ホントだ!
五郎 実は、この作品の習作にはクールベは描かれていなかった。正式に描く段階になってはじめてクールベの姿を描き込んだわけ。このモネの『草上の昼食』は、マネだけじゃなくてクールベに対するリスペクトも表した作品なんだよね。モネは、クールベが描いたのと同じエトルタの崖も描いている。
アシ そっくり!
五郎 そう。モネはいまで言う聖地巡礼をしたんですよ。同じ崖を訪ねて、ほぼ同じ角度から描いている。で、クールベは「嵐の後」なんだけど、モネのほうは「嵐の海」。
アシ あ~!
五郎 完全にオマージュとして描いているわけ。クールベ先輩は、そのくらい印象派の連中に強い影響を与えたということなんだよ。というわけで、冒頭の『画家のアトリエ』にもう一度戻ると、あのパッと見よくわからない作品は、「俺は仲間がいるから国なんかに頼らない、仲間に支えられて社会の現実を描くんだ」というクールベのファイティングスピリットにあふれた絵だったということです。どうでしたか、クールベ先輩の生き様は?
アシ カッコいいっす。
五郎 カッコいいですよね。でも、つきあうとたいへん(笑)。
アシ マネはできないです(笑)。
五郎 そんなクールベ先輩のことも、次章のマネ先輩と並んで、ぜひ覚えておいていただきたいと思います。