僕は1985年2月に結婚し1988年まで新婚生活を香港で送っていたため、この時の日本の産業界、不動産業界の空気を知らない。

 とはいえ、香港ドル建てでもらっていた給与が円換算するとみるみるうちに半額になっていくのを不思議に思っていた。赴任した時は1香港ドルが30円だったが、帰任時には15円になっていた。

為替レートと公定歩合の推移同書より 拡大画像表示

 日本は円高不況により輸出産業が打撃を受け、町工場の倒産も相次いだ。政府は内需主導型の経済成長を促すため金融緩和に加え、公共投資を拡大する積極財政を展開し、これがバブル経済の引き金となった。

 バブル経済の原因となった金融緩和、低金利への誘導はプラザ合意の翌年、1986年から始まった。日銀は5%だった公定歩合を1986年1月から翌1987年の2月まで5回に分けて0.5%ずつ段階的に引き下げていき、最終的に年率2.5%にまで引き下げた。

 政府のもくろみ通りマネーが市中にあふれ出したものの、地価と株価の高騰を招いた。反対に1989年5月からは金融引き締めに入り、1990年8月まで5回に分けて、年率0.75%から1%に及ぶ公定歩合の引き上げを行い、最終的に年率6.0%になった。