東京都千代田区の住宅地価の最高価格はバブル経済前の1985年が1坪あたり200万円であったのに対して、1991年には1230万円となり6倍以上に高騰した。中央区や江東区、渋谷区が5倍以上、その他の区でも2~4倍に上昇した。

メーカーがゴルフ場開発、生保がビル建設…
バブルの音頭で踊り続ける日本の大企業

 株価は1985年の大納会の高値が1万3117円94銭だったのに対し1986年の大納会の高値が1万8819円98銭。1989年の大納会の高値は3万8957円44銭まで急騰した。1985年の株価から約3倍に上昇した計算だ。

 しかし1989年の大納会でピークをつけると、翌年の年始から下落を始め、1992年の大納会の高値は1万7254円04銭となり、1989年の大納会の半値以下まで下落した。

 バブルは株高と地価の高騰が相まって発生した。

 銀行の過度な土地融資がそれを助長した。土地を取得した時点での価格(簿価)と時価の差額(含み益)を担保に銀行は金を貸すことが許された。土地は上がる。企業は本業のものづくりで収益を上げられていなくても、土地さえ持っていれば資金調達をすることができた。

 大手企業は優秀な新入社員獲得のために豪華な独身寮、社宅、保養所、研修所を次々に建設、メーカーなのにゴルフ場開発に次々と手を染める。生保は都心の土地をゼネコンに地上げさせ、次々にオフィスビルを建設するなど、さまざまな手法でレコードにあわせてダンスを踊り続けた。その数年後には財務体質改善のために、そのほとんどを手放すことになるとはつゆ知らず。