天皇の神泉苑から平安宮跡の散策に

法成橋一つだけ願い事を念じながら渡ると願いがかなうとされる神泉苑の法成橋

 平安京の中心を南北に走る朱雀大路は、今の京都御所から2km西側の千本通に当たります。二条城周辺でまず訪れたいのが、二条城のすぐ南に位置する神泉苑(中京区)です。二条城の造営に伴い、規模の縮小を強いられましたが、現在は真言宗寺院として当時の面影を残します。

 神泉苑は京都がどんなに日照りになっても水がかれることがなかった、まさに「神の泉」であったといわれ、天皇も日照り続きの時には庶民にも神泉苑の水を汲むことを許したそうです。そんなありがたい池であったことから「御池」と称され、そこから神泉苑の南側にある道は「御池通」と呼ばれるようになりました。

 天皇や貴族たちはその広大な池に船を浮かべ、管弦の調べに耳を傾けつつ、秋の夜には月を愛(め)で雅な時を過ごしたのでしょう。

 そんな優雅なイメージがある一方で、国の安寧を願う儀式や祈祷(きとう)の場でもありました。疫病や天災が相次ぐ中、869(貞観11)年に、全国の国の数である66本の鉾を立て、祇園社八坂神社・東山区)から神輿を迎えて厄払いをしたのが、祇園祭の始まりと伝わります。空海、小野小町らの雨乞い、雨を願い舞う静御前を源義経が見染めたなど、エピソードも豊富に残ります。

 二条城を北に向かうと、かつては大内裏がありました。平安京の官庁街であり、丸太町通を越えて東西を智恵光院通(ちえこういんどおり)と千本通に挟まれた辺りには、発掘された建物跡が保存され、詳しい説明板が設けられています。ちょっとした平安宮の跡を散策できますので、注意深く歩いてみてください。