次こそは…やめられなくなった
台湾での「卵子提供」を知る

 ホルモン剤に慣れないうちは吐き気を催すこともあったが、体のきつさよりも仕事の調整がしんどかったと振り返る。

 48歳になるまでの6年間、治療を続けた。最初のうちは「遅いスタートだからできなくても仕方ない」と軽く思っていたが、やればやるほど「次こそは」と、やめられなくなった。この6年間で採卵は49回、受精卵を子宮に戻す胚移植は10回受けた。

 排卵して卵子が採れ、受精し受精卵が凍結できる状態(胚盤胞)にならない月は、毎月5万~6万円の治療費が、採卵し卵子が採れ、受精し受精卵が胚盤胞になり無事に凍結できた月は数十万円がかかったが、共働きだったため、支払えない額ではなかった。

 治療が成功しないまま、19年、48歳の秋にインターネット検索で「卵子提供」という手段があることを知る。第三者のドナーの卵子と夫の精子を使ってできた受精卵を自らの子宮に移して出産する方法だ。妻の年齢が高くても、卵子が若いために出産に至りやすいとされる。

 ちょうど台湾のクリニックの説明会が国内で行われており、参加。49歳を目前にし、もう駄目かもしれないと思っていたタイミングだったため「台湾なら近い!」と飛びついた。