ノンフィクションライター・甚野博則氏による『ルポ 超高級老人ホーム』が発売直後から注目を集めている。入居金が数億を超える「終の棲家」を取材し、富裕層の聖域に踏み込んだ渾身の一冊だ。本記事では、発売前から話題となっている本書の出版を記念して、内容の一部を抜粋し再編集してお届けする。なお、本書においては施設名を実名で記載している。
「中小企業の社長」は腰が低い
森田健一さん(仮名)と妻の恵美子さん(仮名)が銀座の超高級老人ホームに入居したのは2023年4月だ。夫婦ともに70歳を過ぎた頃だった。
取材時、入居から既に1年以上が経過した森田さん夫婦。
徒歩圏内に書店や文房具店がないことで不便を感じているというが、それよりも近くに住む息子や孫が気軽に遊びに来てくれるようになり、毎日食事の準備や後片付けも必要ない生活に、とても満足している。
そして夫の健一さんは、施設内での知り合いも増えた。妻の恵美子さんはこう話す。
「ここは上に立って仕事をしていた方が多いわけです。みなさん偉い方ばかり。ところが、この人(健一さん)は中小企業の社長なので腰が低い。
今も社長ですから、ここで出会った人全てがお客様になり得る。そういう方々から見たら、この人は全然違うので、すごくお付き合いが広がったんだと思います」
健一さんの話によれば、知り合った入居者らの前職は、財閥系企業や東大教授、医大の名誉教授などだという。
愛想のよい健一さんの人柄からか、レストランやエレベーターでも、入居者によく声をかけられる。「森田さん、あんたお仕事何やってんの?」と、根掘り葉掘り聞かれることも多いそうだ。
そのような人間関係が煩わしいと思わなければ、確かに快適な生活が送れそうだ。
高級老人ホームをおすすめできない理由
海外旅行に出ている間、育てている観葉植物に水をあげてもらえるサービスまであると健一さんは満足げに語った。
だが、こうした快適な暮らしが送れる超高級老人ホームを、気軽に知人へ勧めることはできないと、恵美子さんは言う。
「(入居できて)いいわねと人から言われちゃうけど、『あなたもそうしたら?』って簡単に言えることじゃないですよね。
こういう所に入れるならいいけど、入れない人もいっぱいいるわけですから。だから、『ここはいいのよ』とは、ちょっと言い難い」
老人ホームへの転居は二人にとって大きな冒険だったに違いない。孫が頻繁に訪れるようになり、家事の負担も減った。確かに以前の暮らしより利便性の一部は向上したはずである。
だが、長く暮らした地元を離れたことで新たな不便さもあり、移住前は大きな不安を感じていたという。
二人にとって老後は、まだ始まったばかりだ。
(本記事は、『ルポ 超高級老人ホーム』の内容を抜粋・再編集したものです)
1973年生まれ。大学卒業後、大手電機メーカーや出版社などを経て2006年から『週刊文春』記者に。2017年の「『甘利明大臣事務所に賄賂1200万円を渡した』実名告発」などの記事で「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」のスクープ賞を2度受賞。現在はフリーランスのノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌などで社会ニュースやルポルタージュなどの記事を執筆。近著に『実録ルポ 介護の裏』(文藝春秋)がある。